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2012年12月16日

兎と亀の政治学的会話(解散・衆院選③):この選挙をどう考えるか

兎:2005年の郵政民営化、2009年の政権交代とくらべると、今回は焦点が定まらない選挙になりそうだね。
亀:その意味では、今回の選挙はごく普通の選挙って感じがするな。だいたい1つの争点や政権の枠組みそのものが、選挙のすべてを特徴づけちゃうっていう方が、めずらしいことなんだから。
兎:ただ、今回、多くの有権者は「民主党だけには勝たせたくない」、あるいは「民主党には絶対にお灸を据えてやるんだ」みたいに見えるよね。それは、前回と同じに、政権の枠組みについての選択が、他をしのぐ圧倒的なアジェンダになった、とみなせるんじゃないか。
亀:うーん、やっぱり、ビミョウにちがうんじゃないかな。たしかに今回の選挙は、民主党のこの3年半の業績を評価する選挙ではある。とすると、有権者は、いってみれば、過去を振り返るretrospective投票をしているわけで、その上にそれはネガティヴな方向性をもった行動だよね。しかし、前回の2009年の選挙では、多くの有権者は「政権交代」を積極的に選んだ。将来志向のprospective投票だったんだよ。そこが違うような気がする。
兎:じゃあ、君は、今回自民党が勝っても、それは有権者の積極的な支持ではなく、他に選択肢がない中の消極的な支持を表しているだけだ、といいたいのかね?
亀:もちろんそんな断定は、簡単にできるわけないさ。ただね、前回と比べて投票率が伸び悩むなんてことがあったりすると、そういう解釈の説得力が増すんじゃないかな。
兎:今回の選挙について、2000年代を通じて確立しつつあった二大政党制の一角が崩れ、第三極が割って入るという意味では、日本の政治のひとつの転換点である、という見方をする人もいるけど、そういう解釈についてはどう思うかね。
亀:むずかしいところだ。第三極、とりわけ維新の会の方が、いかに近畿地方というひとつの地域を超えて、全国まんべんなく議席を獲得できるかどうか、にかかっているんじゃないかな。
兎:小選挙区制のもとでも第三政党がある地域に限定して残るということは、十分論理的に起こることだよね。
亀:そうそう。大事なポイントだが、それについては、早稲田のちょいわるオヤジさんが、たしかカナダのケベック州を題材にして、『制度』という本の中で解説している。
兎:しかし、だよ、もし維新の会が40とか50とかの議席を取ったとするよね。すると、たとえそれが一部の地域に偏った勢力分布であったとしても、維新の会としては、やっぱり自分たちは「第三極」づくりに成功した、と訴えるのではないかな。
亀:そうだろうね。そういう意味でも、やっぱりつくづく、今回の選挙は、前2回と異なる、ふつうの選挙になると思うね。
兎:うん?どういうことだい?
亀:つまり、だね、ボクのいいたいのは、今回の選挙は、選挙が終わって結果が判明したあとも、その結果をどう解釈するかということについて、論争の余地が大きく残る、そういう選挙なんじゃないか、ということ。2005年も2009年も、選挙で誰が勝ったのか、どの党が有権者からマンデートを得たのか、ということは、ま、疑いようがなくはっきりしてたよね。しかし、今回は、たとえば自民党がたとえ圧勝したとしても、さっきいったように、いやそれが自民党に対する積極的な支持を反映していたわけじゃないんだ、というような異なる解釈が成立してしまうのではないかな。
兎:なるほど。同様に、選挙の結果、維新が40−50議席とったとしても、それがどういう意義をもった事態なのかは、自明ではない、ということだね。
亀:そう。自公民で過半数とったら消費増税が信任されたという人もでてくるだろう。自民党が勝ったらTPPや反原発は支持されていないという解釈を取るひとも出てくる。逆に民主党が70ぐらいに議席を減らしても、いややっぱり二大政党制は維持されたじゃないか、という人もでてくる。しかし、これらひとつひとつの解釈と、それぞれ反対の立場の解釈も成り立つ。
兎:どのような結果になろうとも、各勢力はおのずと自分に都合のよい解釈ができる、そんな選挙じゃないか、ということだね。
亀:そういう意味では、今回の選挙は、後味の悪い選挙、結局なんだったのこの選挙という感じの選挙になるんじゃないかな。

2012年12月07日

Dave Brubeck

ボクがジャズを聴くようになったのには、いろいろなきっかけがある。まず、大学に入った時、母方の叔父からオスカー・ピーターソンtの「プリーズリクエスト」というアルバムをもらった。「ロックやフォークソングばっかり聴いてないで、少しは大人の音楽も聴きなさい」というメッセージが込められていたわけだ。たしかに、このアルバムは、短いスタンダード曲ばかりを集めたもので聴きやすく初心者向けであった。しかし、正直いって、これを聴いただけではあまりジャズに傾倒しよう、という気にはならなかった。
それからしばらくして、マンハッタン・トランスファーが日本で公演をして、それをテレビでみて、ボクは凄いショックを受けた。MTは、高校時代に留学していたアメリカで、Boy from New York Cityというヒットを飛ばしていたのを知っていたが、まさか本業がこんなにエンターテーニングなジャズのヴォーカル・グループだとは思わなかった。それ以降、ボクはMTのアルバムを買いあさった。そして、彼らが歌うジャズの名曲に、慣れ親しんでいった。
それでいつしか、ボクはスィングジャーナルという雑誌を買うまでに、ジャズに興味を持つようになった。このジャーナルが、ある時、名盤100選というのを特集していた。その頃はお金がなかったので、それを一枚一枚買い集めるなどということはできなかったが、ヒマを見つけてはその本で、誰が誰の影響をうけてどういう音楽を発展させてきたのか、を勉強した。
その100枚の中の一枚が、デーヴ・ブルーベックqのDave Digs Disneyだった。「ハイ・ホー」とか「いつか王子様が」とか、誰もが知っているディズニーのメロディーを明るくアレンジし、彼の真骨頂である変則リズムもとりいれ、しかもポール・デズモンドのサックスも生かした、素晴らしいアルバムである。その後、彼が大学にジャズを持ち込んで若い人たちにジャズを普及させ、圧倒的な支持を得たということを知った。実際、ボク自身、このアルバムを聴いて、他も聴いてみようと思うようになった。スタンゲッツ、MJQ、マイルド・デーヴィス、セロニアス・モンク、キース・ジャレット...。
しかし、ボクにとって、いちばん最初に聴いた、100選に選ばれたジャズ名盤は、このデーヴ・ブルーベックだったのである。
実は、ボクは、この自分の経験を、友人や学生たちにも伝承しようとしている。
もうずっと前、スタンフォードに留学していた時代にさかのぼるが、現経済産業省から留学していたS・Kさんが、「河野さん、ジャズのCDいっぱいもってますね、どれか聴きやすいオススメはないですか」というので、ボクは迷うことなく、このアルバムを渡した。そしたら、1週間ほどして彼から「落ち込んでいたのに、本当に気持ちが晴れやかになりましたよ」と連絡をうけて、とてもうれしくなったのを覚えている。
最近でも、ゼミ生たちから「先生、ジャズを聴いてみたいと思うんですけど、何から聴けばいいんですか」という質問を受けることがあるが、そうした時はいつでもボクは、このアルバムを推薦することにしている。
一度だけ、ボクは、生身のデーヴ・ブルーベックを見た/聴いたことがあった。イェールに留学していた時、ボクの住んでいた寮のすぐ近くのカレッジに彼が招かれて、演奏を交えたレクチャーをすると聞きつけたので、いってみた。はっきり言って、彼が何をしゃべっているのかは、(当時のボクの英語力では)よくわからなかった。しかし、小気味よいピアノの音は、今でもボクの耳に焼き付いている。

ボクの人生に、素晴らしい音楽を紹介してくれたことに感謝しつつ、心から、ご冥福をお祈りする。

2012年12月04日

兎と亀の政治学的会話(解散・衆院選②):争点、争点って、うるさすぎ

兎:今回の選挙についてのメディア報道をみていると、争点、争点って、うるさいよね・・・。
亀:ああ、君もそう思うかい? まったく同意見。
兎:大学時代に、政治過程論とか政治行動論っていう授業をとったけど、有権者がどのように投票先を決めるかっていう話は、もっと複雑だよね。
亀:いや、ホント。有権者が何らかの政策を争点にして投票するなんていうのは、ひとつの考え方、ワンオブゼムの理論にすぎない。それなのに、「争点は何か」みたいな特集をすること自体、あんたたち、選挙ってものを、あるいは有権者の投票行動っていうものを、わかってんのか、っていいたくなる。
兎:争点以外にも、候補者のイメージとか、業績評価とか、あるいは政党支持とか、有権者の投票を決定する要因については、いろいろ考えられるわけだよね。
亀:それに加えて、どの争点で「投票するのか」という「である論」レベルの話と、どの争点で「投票すべきか」という「ベキ論」とが混同されて、報道されている。こういう報道を平気でするメディアの人たち、勉強不足もいいところじゃないかね。
兎:今日の夜のNHKの番組では、どこかの部のデスクとかいう偉そうな人が、外交が今回の選挙の争点になるかのような話をしていた。
亀:へええ。それは、その人の個人的な見解というか、個人的な願望ってことなら許されるが、何を根拠にそんなことが言えるのかな。そういう報道ぶりをみると、どこの局のどの人が政治学の基本的知識をもっていて、どの人はテキトーにしゃべっているかって、一目瞭然にわかっちゃうな。
兎:だいたい争点投票っていうのは、ものすごく高いハードルを有権者に設定しているわけだよね。
亀:そう。有権者は、まず政策そのものについての知識をある程度もっている、ということが前提になる。それから、それぞれの政党がその政策争点についてどのような立場をとっているかという情報をもっていることも、必要となる。これは、今回の選挙のように10何党もが乱立している状況では、とっても難しい要件だな。そして、自分自身がその政策についてどう考えるかという自己認識も、もちろんなければならない。
兎:争点投票というのは、その3つの要素を組み合わせて投票先を決めるというメカニズムだよね。それは、たとえばこっちの候補者の方がハンサムだとか、あの党は信頼できる、という候補者イメージや政党支持で投票を決めるというメカニズムよりも、はるかに高度で洗練された行動が要求されているわけだ。
亀:いつも早稲田のちょいわるオヤジさんがいっていることだが、民主主義のもとで有権者ができることというのは、一票を投じるという、非常に限られたことでしかない。で、その虎の子の一票にはいろいろなことが託されている。
兎:政策争点を見極めるということもあれば、政権枠組みを選ぶということもある。
亀:あるいは、世襲議員はいやだなと思う人のように、一票を投じることで日本の民主主義の質を向上させたいと考えている人もいる。
兎:あるいは、憲法改正の是非を問いたいと思っている有権者は、日本の政治体制そのものの変革をこの一票に託しているといえるかもしれない
亀:そうそう、つまり、有権者は、それぞれいろいろな思いで、一票を投じるわけだ。
兎:だから、そのようなとっても貴重な、さまざまな可能性をもった投票という行為を、あたかも、すべての有権者がなんらかの争点について投票している、あるいは投票しなければならない、かのような前提で捉えること自体、壮大な誤解に基づいているとしかいえないね。
亀:そう、そして、いまの報道のあり方は、まさにそのような壮大な誤解にもとづいて、次から次へと番組が制作されているって感じがする。