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2009年01月29日

John Ferejohn

スタンフォード大学のジョン・フェアジョン先生は、ボクのヒーローである。その先生と、ほぼ1週間日本で一緒に過ごした。これほど光栄なことはなかった。今回は、ボクが企画したシンポジウムの基調講演者としてお呼びしたのであるが、そばで見ていて、あらためて何から何まで、彼の凄さに圧倒された。
まず、彼は律儀である。そしてhumble、つまり偉ぶったところが全然ない。基調講演のテキストは、ほぼ締め切り通りに送られてきた。企画している立場からのコメントが欲しいというので、おそるおそる送ると、ちゃんと修正したバージョンが返ってきた。それだけではない。同志社でプレコンファランスを開き、講演のリハーサルをやってもらい、そこでの発表に対してまたいろいろと注文をつけたら、先生は嫌な顔ひとつせず、もういちど大きな修正をして本番に臨んでくれた。おかげで、シンポジウム当日の講演はすごく分かりやすくなった。コミットメントの高さ。他の人の意見やアドバイスに耳を傾ける謙虚さ。頭が下がるばかりである。
次に、彼は頭がいい。本当に頭がいい。講演のテキストはいずれ活字にするし、英語がわかる人はもうすぐGLOPEIIのHPでビデオで見れるようにするから、それらを見れば分かるが、そこでは期待と制度と合理性についてのこれまでの考え方を大きく方向転換するような重大な問題提起が行われている。こんな大風呂敷を広げた議論ができる人は、そうはいない。また、彼はいつでも知的好奇心にあふれている。シンポジウムの他のセッションでも、先生はじっと他の人たちの発表を聞いていた。そういう場で先生が居眠りをしているところを、ボクは見たことがない。実際のところ、彼はあくびひとつしないのである。いつもノートをとらず、じっと集中して聞き、そしてほとんどの発表を(なんと数年たっても)覚えているのである。
それから、フェアジョン先生は、とてつもなくエネルギッシュである。京都では、ホテルに着くなりバーに連れて行かれた。次の日の夜は、木屋町のレストランにお付き合いした。バーもレストランも、どちらも彼が京都に来たときに必ず立ち寄る店なのだそうである。とくに、そのOgawaというレストランでは、再会したシェフにひとつひとつ料理の中味を聞いていた。「大根」や「出汁」はもちろんのこと、「紫蘇」とか「湯葉」といった言葉まで、全部彼は知っていた。そう、彼自身、一流のシェフなのである。
東京では、どうしてもジャズを聴きたい、それも日本人のジャズを聴きたいというので、新宿のJスポットというクラブに行くことになった。ボクは知らなかったのであるが、ここは早稲田の関係者が作ったジャズスポットで、その日は鶴丸はるかさんという女性ボーカルと諸田富男さんというバンドリーダーが率いる六重奏団が演奏していた。たまたま、店の代表の幸田(稔)さんに、先生もサックスを吹くんですよといったら、早稲田の縁もあってか、それでは飛び入りで参加してください、ということになった。
第2ステージの2曲目がおわると、先生の名前が大きくよばれて紹介された。曲はNow is the Time。キーはF。最初のソロを、先生が取った。彼のサックスを聴くのはこれが初めてだったが、バンドの他の人たちのソロとまったく遜色のない、なめらかな演奏だった。

2009年01月18日

時間について

ボクは、ハイデッガーをまともに読んだこともないし、また現代物理学にはまったく疎い方であるが、今日は時間について、最近思い当たることを好き勝手に語ってみたい。
まずは、昔、吉本隆明さんがどこかに書いていたこと。それは、人間は「時間」という概念よりも「世代」という概念の方を先に手にいれたはずだというようなことであった。
時間という概念は、きわめて抽象的である。それゆえ、たしかにそれは人間の進化の過程のなかでもかなり最近になって生まれた概念だろうな、という気がする。これに比べて、世代というのは、はるかに現実的で具体的な概念である。当然のことながら、生物種としての人間は、子供を生んで親になることや、子供として自分の親が死んでいくことを、身の回りのこととして経験する。世代なるものの違いや移り変わりを実感することが、何段階かの発展をへて、今日われわれのもつ時間の認識を支えているというのは、納得がいく考え方である。
次に紹介したいのは、オバマ大統領の就任が近づいてきた中で、あるニュースアンカーが語っていた言葉。それは、歴史的にみれば確かにオバマ大統領の誕生は重大な事件であることに間違いないし、多くのアメリカ人にとって彼は最初の黒人大統領であるが、しかし若い人たちの中には、オバマ大統領を、白人でも黒人でもなくただ単に物心ついてからの初めての大統領としてのみ記憶する世代が確実にいる、というようなことであった。ここでも、世代という概念は、われわれの想像力のリーチに収まる、実に現実的で具体的なイメージにつながっている。世代ではなく、時間という概念だけで、オバマ大統領誕生の画期性を表現することはできないのではなかろうか。
さて、話しは多少飛ぶが、最近どこかで耳にしたウィリアム・フォークナーの言葉も、ボクの中ではとても印象深く残った。それは、「過去は死んでいないし、まだ過ぎ去ってさえもいない The past is not dead. In fact, it's not even past」というもの。
「過去」というのは、現在から振り返ってはじめて見出される。ゆえに、過去とは、現在を生きるプロセスの一端として経験するものである。これは、もちろん、「未来」なるものについても、まったく同様に当てはまる。未来を見据えるとか、未来を志向するということ自体、きわめて現在主義的な経験にほかならない。
「現在」なるものからわれわれが抜け出ることは、実は容易ではないのである。
最後に、ボクの大好きな憲法学者ルーベンフェルドの一説。われわれは自由を手に入れるため、過去のさまざまなしがらみから解放されたいと願う。「しかし、真実はどうかといえば、みずからを時間から解放しようとするすべての試みは、それがいかに成功していても、成功のために、時間の中に埋没せざるをえないのである。なぜかといえば、そのような試みは持続されなければならない。奴隷からの永遠の解放が、本当に解放であるためには、すくなくともそれを記憶にとどめる必要があり、そして、それは前向きに実行されなければならず、将来にわたってもそのことが方向づけられなければならない。現在を歴史から解き放ちたいという願望は、この意味で、自己否定的である。」
人間は、時間なくして存在できない。時間こそ、人間がつくりだした、もしくは見出した概念であるにもかかわらず・・・。

2009年01月14日

内閣支持率とテレビ視聴率と松沢知事の禁煙化撤回について

麻生内閣に対する支持率が20パーセントに落ち込んだ。
テレビに出てくる政治評論家の中には、知った顔で「内閣支持率が20パーセントに落ち込むと、内閣が倒れる可能性が高い」などという方がおられるが、ボクなどはいったいどういう根拠でそんなことがいえるのだろうと思ってしまう。別に20パーセントという数字できれいに線が引けるわけがないじゃないですか。実際、今回の麻生さん、粘り腰をみせて、結構長い間政権を延命しそうじゃないですか。30パーセントでも15パーセントでもなく20パーセントが政権維持のための内閣支持の限界だ、などと主張する、そんな理論は、もちろん学問としての政治学とはまったく無縁です。
内閣支持率の数字は、いつも内閣に対する不支持の率の数字と対で登場する。当然、今の麻生内閣に対する評価でもそうであるように、支持率が低ければ不支持率が高くなるという逆相関を呈することが多いが、必ずしもいつも支持率と不支持率とが逆に振れるというわけではない。場合によっては、支持でも不支持でもなく、「わからない」とか「どちらでもない」という、態度を保留する人、あるいは中立の人が多くなることだってありうる。
さて、テレビ番組には視聴率というものがあるが、かねがね、ボクはこの視聴率という数字は意味のない数字ではないか、と思っている。それは、視聴率はポジティヴな支持率に対応しているけれども、ネガティヴな不支持率をまったく捉えられないからである。たとえば、ですね、ボクはある民放局の夜のニュース番組が大嫌いで、絶対に見ないことにしている。キャスターが傍若無人で、その人がしゃべっているとむかむかしてくるし、しかもそのとなりに座っている女子アナがプロとは思えない、まったくつまらない相槌しか打たないからである。もちろん、視聴者の中には、むしろこのキャスターの傍若無人さをいいと思う人もいるだろうし、可愛いお天気担当のアナウンサーに魅かれて見る、という人もいる。だから、実際、この番組は、そこそこの視聴率をとっている。しかし、その視聴率の数字からは、見てない人の多くが、単なる態度保留・中立派なのか、それともボクのような、この番組だけは絶対に見るもんか、と考えている積極的拒否グループなのかは、知る由もないのである。
・・・などということを考えていたら、今日、神奈川県知事の松沢さんが、業界団体の反対にあって、推し進めようとしていたレストランや居酒屋など公共の場の全面禁煙化の方針を引っ込めることが報じられた。面白かったのは、松沢さんが実際に居酒屋に行って、タバコを吸っている客たちに、「もし禁煙になったら、となりの県の居酒屋まで、遠出するか」と質問していたことであった。しかしだね、松沢さん、世の中には、居酒屋やレストランが(あるいはパチンコ店だって)タバコ臭いから、そういう場所に行かないようにしている、という人もたくさんいるんじゃないんですか?そういう人たちの意見というのは、(現にいまタバコ臭い)居酒屋に来ている人に聞いてみたって、捉えられませんよね?居酒屋に行って、そこの客に聞き取り調査することって、(パフォーマンスとしては面白いけど)はっきりいって無意味ですよね?
いうまでもないが、昔たくさんあった「喫茶店」では、タバコの煙でいつももうもうとしていた。もし喫茶店の客だけに聞き取り調査をしていたら、タバコの吸えない「スターバックス」が成功するなどという予測はありえなかっただろうね。

2009年01月13日

2008年から2009年へ

年末から年始にかけて、実にいろいろな行事がボクの周りに起こって、ブログの更新が遅れてしまいました。いますこし風邪気味ですが、来週にはまた大きなシンポジウム(←みなさま是非おいでください)を控えており、徐々にペースを上げてまいります。
みなさま、本年もどうかよろしくお願いします。
というわけで、いくつか近況報告を。
まずは、年末の定例ゼミOB会。今年も多くの人たちが集まってくれました。また一段と縦のつながりが太くなったようでよかった。OBたちの多くは、さかんにボクが「丸くなった」(←「肥えた」という意味ではなく、「優しくなった」という意味)と評していた。そうかなあ、そんなことはないのに、と思うが、ま、こういうものは自分ではなかなか客観的には判断できないので、そういうところもあるかもしれない。面白かったのは、現役たちがOBにあんまりボクにそう言わないでくれ、と懇願していたこと。反応してまた厳しいボクに戻られてはかなわん、と恐れているらしい。
もうひとつ、ゼミ関連では忘年会も催された。2次会はカラオケへ行って、学生たちのものすごいエネルギーを見せ付けられてしまった。ボクも、「いとしのエリー」などを歌わせてもらって、ご機嫌だった。
年が明けて、元日は恒例により、天皇杯サッカーを見に行った。延長の末、ガンバが播戸のシュートで勝った素晴らしい試合だった。娘には遠藤の動きを追うようにといっておいた。そしたら、パスの出し方や、スペースの埋め方など、すごく参考になったといっていた。
娘の来日を記念したエリーズ杯は、昨年同様、横浜のフットサルコートで開催された。2時間たっぷり汗を流した後は、拙宅で新年会。どういうわけか、今年は自分で料理してもてなしたいという気分だったので、チキン入りサラダ、パスタ、ナスと豚肉の中華風炒めものの3品をつくった。男子学生に対しては「男でも料理ができるのが当たり前なんだよ」、そして女子学生には「料理もできない男に引っかかったらだめだよ」というメッセージを送りつつ。
テニスも、2回した。日本でしかしないのに、娘のテニスの上達ぶりは驚異的であった。いつのまにか、フツーにダブルスができるようになった。そして、親子対決のとき、不覚にも、ボクはサービスエースを2本もとられてしまった。ボクの周りのテニス関係者は、来年は絶対にボクを追い抜いていると、口を揃えて言っていた。うーん、そうかもな、と自分も納得。
それから、早稲田女子サッカー部の練習場を訪ねる機会に恵まれた。藤居さんのはからいで、ただ見るだけでなく参加しても大丈夫といわれていたので、着替えを持って行き、全国2位という輝かしい実績を誇る選手たちに混じって娘が練習させてもらった。最初のクロスからのシュート練習では緊張気味だったが、4対4のミニゲームを始めたら、緊張もとれていい動きをしだした。そして、なんと途中からは、人数が足りないということで、ボクもミニゲームに参加させてもらった。本当に楽しかったし、トップレベルの方々と一緒にできて、光栄でした。
おかげさまで、娘が帰った後も、快晴が続いた横浜では、心穏やかなつかの間の休日を過ごすことができました。ありがとうございました。