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2008年07月31日

Nowadays, they don’t date, but they hang out

もうすぐ16歳を迎えようとしているボクの娘に、同い年のボーイフレンドができた。
この夏参加したビーチバレーの合宿とトーナメントで、二人は仲良くなった。バレーでコンビを組む娘のパートナーが、このボーイフレンドの従兄のガールフレンドという関係である。そして、この従兄の父親が、ビーチバレーのコーチなのだそうだ。やっぱりこの世界は狭い。
娘のいうところによると、実は彼女は、ずいぶん前からこの彼のことを気に入っていた。彼女は、去年の夏、小さな子供たちに自転車の乗り方を教えるアルバイトをしていたのだが、どうやらそこで初めて知り合ったらしい。娘の友人たちの間には、彼女が彼を気に入っているので、「あの彼には手を出すな」という暗黙の了解ができあがっていたたようである。ところが、二人ともシャイで、なかなかきっかけがつかめず、ずるずるとこの夏まできてしまった。それがようやく最近になって、どちらもちょっとずつ勇気を出し合ったことで、一緒になれたということらしい。
初めて恋に落ちた娘の行動を観察していると、なんともいじらしい。
電話番号やメールアドレス(こちらではtextingという)を交換したあと、ずっと携帯を握り締めて、相手から連絡が来るのを待っている。そして、連絡が来たあとも、すぐ返事をすべきかどうか、ああでもない、こうでもないと自問自答している。ほかの友達たちから、「カップルになったのか?」というメールの問い合わせが殺到し、親友と「いったい誰が言いふらしているのか」と、これまたああでもない、こうでもないと詮索している。そうした「ああでもないこうでもない状態」が、一日中、延々と続くのである。
はじめて彼から「オヨバレ」がかかったとき、ボクは娘に「どこでデートするんだ?」ときいた。そしたら、最近の若い人たちは、二人きりのデートというのはあまりしないのだそうである。デートではなく、ハングアウト、つまり何人かの仲間たちと一緒にいる中で楽しむのである。二人だけでなく、仲間のネットワークの中で関係を築いていくということなのであろう。
というわけで、その最初のハングアウトは、ビーチバレーのコーチの家であった。
プールもあるし、テニスコートもあるし、ビリヤードテーブルもある。ハングアウトするには、まさに最高の環境らしい。
ボクが車でその大邸宅まで送っていくと、途上、娘はそわそわしはじめた。鏡で何度も化粧を直している。鏡を閉じたり開いたりして、「ああ、緊張してきた」とため息をもらす。
「緊張?何で?」
「だって、こんなに男の子のことを好きになったの、はじめてなんだもん」。
そうか、そうだよな、そうに決まっているよな。
そのピュアな心にうたれ、思わずほほえむ。そして「Good Luck!」と、送り出す。
娘の門限は、深夜の12時。
あとからきくと、彼はちゃんと彼女を家まで送り届けてくれたそうである。車を運転できる年齢ではないので、二人はバスを乗り継ぎ、歩いて帰ってきた。そして、彼は自分の家まで、またバスを乗り継ぎ、歩いて帰っていったそうである。

2008年07月26日

知っているようで知らないアメリカ建国の話シリーズその⑧~「政府」という方言?~

1792年、フランス革命が飛び火してヨーロッパ全土に戦争が拡大したとき、ワシントン大統領は「中立宣言」を出した。この行為が条約の批准には上院の同意を必要とするというアメリカ連邦憲法の規定に違反して行われたのではないかどうかで、大論争になった。フランスとはすでに条約があり、中立宣言はその条約を事実上無効にする効果をもつ。そこで、マディソン(およびジェファーソン)は、自らの政治的立場がフランス革命に同情的であったこともあり、ワシントンの行為は憲法違反であると主張した。しかし、彼らの主張は、親英派で連邦派であるハミルトンらによって、退けられた。
当時マディソンとハミルトンとのあいだで激しく交わされた論争は、アメリカの歴史家や憲法学者のあいだでは『The Pacificus-Helvidius Debates』として重要視されているが、日本ではあまり知られていない。ボクの知る限り、この論争の邦訳は出ていないし、これについての研究もほとんどみたことがない。
しかし、とくにマディソン(Helvidusは彼のペンネーム)がこの論争の中で展開している議論は、非常に面白い。そう、それは、憲法を原理的に考える上で非常に面白いし、今日でも非常にためになるのである。
マディソンの議論のひとつは、そもそも「政府(government)」とは何か、という論点であった。マディソンは、「・・・言葉の使い方が、しばしば考え方そのものにしだいに影響を及ぼし、不適切な使い方によって、本来なら見逃すはずもない誤謬を覆い隠すにいたることが見受けられる」と述べ、「とくに、私は、執行府(Executive)の権限のみを指して『government』という言葉を用いる彼[ハミルトン]の用語法」に注意を促したいという(pp.90-91)。
マディソンによれば、ハミルトンは本来であれば「大統領」といえば済むところをわざと「government」という言葉で表現し、中立宣言が大統領すなわち執行府によって出されたのではなく、それよりも大きな「government」なるものによって出されたかの幻想をかもし出している、と批判している。しかし、そもそもgovernmentとは何であろうか。マディソンは、「アメリカにおいて、『政府』といった場合、それは政府全体を意味するのであって、単に執行府のみを指したり、執行府を優先的に意味したりするわけではない」(p.91)と断じる。たしかに、君主制のもとでは権限のすべての部分が、ひとつの、すなわち単数形の、「政府(government)」へと収斂していくであろう。しかし、立法府もあり、司法府もあるアメリカにおいて、執行府をgovernment(しかも単数形)と表すのはおかしい、というわけである。そして、マディソンは、ハミルトンがそのように巧みに言葉を選んで使っていることを、「新しい方言」である、と強烈に皮肉っているのである。
日本では、三権のひとつを「行政府」と呼ぶ。つねづね言っていることであるが、この呼称は、「立法府」や「司法府」とパラレルでないばかりか、それだけが(「行」を略して)「政府」であるがごときの印象を与えるので、きわめて不適切である。ボクは、これは「執行府」か、あるいはかつて明治の初期に使われていた「行法府」に改めているべきだと考えている。(三権のひとつにすぎない)内閣の官房長官でしかない町村さんが「政府といたしましては、・・・・」と発言するのを聴き、われわれがなんとも不思議に感じないとすれば、それはマディソンがいうところの「本来なら見逃すはずもない誤謬」にわれわれの方が覆い隠されてしまっているからにほかならない。
注:引用はすべてAlexander Hamilton and Jamese Madison (edited and with an Introduction by Morton J. Frisch), The Pacificus-Helvidius Debates of 1793-1794, Liberty Fund 2007 より

2008年07月21日

2008年夏ゼミOB会

先日、ゼミのOB会が催された。現役生と卒業生合わせて50人が参加した。小さなレストランのような(バーのような)会場は自由に歩けないぐらいひしめき合い、熱気で埋め尽くされてしまった。
50人とカンタンに言うけど、これはすごい人数である。知り合いの名前を挙げてみろといわれて、すぐ50人もの名前が思い浮かぶ人は、政治家とか会社の社長さんとかは別にして、ボクぐらいの年齢の大人の男性ではそうはいないと思う。本当に、大学の先生になってよかった。みんな、本当に素晴らしい子たちで、このような若い人たちと交流することができて、ボクは幸せものである。
さて、事前に現役生たちには警告しておいたのであるが、先輩たちは相変わらずものすごくパワフルであった。1期生の木下君と酒井君は、いつものように、ボクに対して下ネタ攻撃を機関銃のように浴びせた。はじめのうちボクは反論していたのだが、彼らのパワーに圧倒されて、最後は黙ってしまった。その一部始終を、6期生の垣坂君と今井君があっけにとられて見ていた。いい刺激になったことと思う(←別にまねする必要はないからね、いっておくけど)。
2期生の中では、藤井君と卒業以来はじめて再会することができた。11時を回ってもちゃんと駆けつけてくれたことがとっても嬉しかった。3期生では五味君が1次会の終わりに、また4期生の杉山さんも2次会から出たところに駆けつけてくれた。みんな、疲れている中、顔を見せてくれて、感謝、感謝。
中には、人生の転機を迎えている人もいた。1期生の大村さんからは結婚したとの報告を受け、会が始まる前に夫を連れてきて紹介してくれた。おめでとう。それから、何人かの卒業生は転職していたし、また転職を計画中である人もいた。それぞれ、いろいろと考えた末での決心であろうかと思うが、ちょっと心配だったのは、そういう中に女性の卒業生が目立ったことであった。女性の働きやすい環境が日本社会の中でもはやく確立してほしいものである。いつか、君たちの経験を、現役のゼミ生たちにぜひ紹介してください。
今回は、幹事を務めた6期生の境さんが、素晴らしい準備と円滑な運営をしてくれた。綿岡君など現役4年生たちが、先輩たちとの調整や連絡で大きく尽力してくれたらしい。いちばん下の6期生も、パワフルな先輩たちになんとか絡もうと、みんなけなげに頑張っていた。現役幹事長の古條君も、まあ彼なりによく努力していた(←ただ乾杯のときの「すべり」はどうしようもなった)。
逆に、先輩たちも、後輩たちと絡むことができて嬉しそうであった。1期生の仁木君は、早稲田のスポーツ話で5期生の藤居さんと「盛り上がっていた」(←そう自分で表現していた)。4期生の細谷君と木村君は、6期生の女の子に囲まれて話していて、心底楽しそうだった(←去年はまったく相手にされなかったのに、よかったね)。それから、5期生の佐藤さん、鎌田さん、日野さん、森田君などは、目立たないところでいろいろ気を使ってくれていた。ありがとうございました。
OB会も、回を重ねるごとに、同期の人だけでなく、縦同士でもつながりが出てきた気がして、とても嬉しい。実際、2期生の片山君と5期生の畑中君のように、これからは役所のなかでカウンターパートになる可能性もある人もいるし、また3期生の吹出さんと5期生の俣野君のように同じ会社で先輩後輩の関係になる人もいるわけである。将来も、ここで築かれた人間関係を核にしていってほしいと思う。
OB会に来れなかった卒業生のみなさん、今回は残念だったが、また年末もやるので、是非そのときには元気な顔を見せてください。

2008年07月17日

今どきジェネラリスト宣言

時はいま、スペシャリストの時代であるらしい。
何か特別な技能や資格を持っている人の方が、就職や再就職のとき強いといわれている。
逆に、ジェネラリストの評価は、著しく低い。
総合と名の付く業種、たとえば総合デパートとか総合メーカーとかは、日々血眼になりながら、生き残る道を模索している。いや、彼らは、しばしば「総合=ジェネラリスト」としての自らのアイデンティティを捨てることで、なんとか活路を見出そうとしているようにもみえる。
ボクは、時代とまったく逆を行くようだが、いつも自分の学生にはスペシャリストにならないでジェネラリストになりなさい、といっている。たしかに一見「何でもできる人」が、実は「何にもできない人」であることもある。しかし、一見ではなく本当に「何でもできる人」がいたら、それに越したことはないではないか。
スペシャリストに比べてジェネラリストの評価が低いというのは、どう考えてもおかしい。それは、部分集合の方が和集合よりもでかいと主張するのと同じで、まったく論理的ではない。
ボクの限られた人生経験からいわせてもらうと、趣味のいい人は、どのような分野においても趣味がいい。また、ひとつの分野で才能のある人は、結構いろいろな分野で隠れた才能をもっている。そういうものである。
たとえば、センスのよい音楽を聴いている人は、洒落たユーモアをもち、語彙も豊富で、クレヴァーな会話ができる人が多い(←具体的に誰って言われるとちょっと困るが、たとえば村上春樹とか)。美味しいレストランを知っている人は、オシャレな服を着ているし(←青木昌彦とか)、自分で料理をさせても一流である(←ジョン・フェアジョンとか)。ある競技で秀でたスポーツの才能を持った人は、別の競技をやらせてもたいていうまくこなしてしまうし、場合によってはプロ級の技術を身につけている(←ボクは、バスケットのスティーヴ・ナッシュがサッカーボールを一流のサッカー選手のように扱うのを実際この目で見たことがある)。
・・・というわけで、何がいいたいかというとですね、趣味の良さとか何かに秀でているとかということは、分野を超えて相乗効果を持つものだと思うのです。まったく関係のない分野だと思ってはじめから切り捨てるのではなくて、いろいろな分野で才能を磨いていこうとすると、結局すべて自分に財産となって返ってくる、そういう気がするのであります。
よく大学院へ進学が決まった学生が「先生、授業が始まるまで、何を読んでおいたらいいですか」とたずねてくることがある。そういう時に、ボクは決まって次のようにいう、「院の授業が始まったら、専門的な論文ばかり読むようになるから、まったく関係のない本をいまのうち読んでおきなさい」と。あるいは、映画や演劇を見に行けとか、スポーツをしろとか、いい恋愛を経験しなさい、とか・・・。
要は、何でもよいのであって、何でも真摯に一生懸命に経験することが、必ず、後に自分の専門とする分野にも生きてくる、そういうものなのである。

2008年07月13日

原理的に考えること、あるいは「主権」と「人権」と「権力分立」の話

日本では、小学生のときから民主主義と憲法とは不可分なものだと教えられる。しかし、いろいろな場面ですでに何度も述べてきたことであるが、民主主義と憲法というのは原理的に対立する。単純化していうと、民主主義とは少数派の暴挙によって多数派が踏みにじられないようにすることを保障しようとする制度であり、憲法(立憲主義)とは多数派の暴挙によって少数派が踏みにじられないようにすることを保障しようとする制度である。当然のことながら、この間のバランスをとることはむずかしい。
このように本来原理的に異なるということをさておき、日本の憲法は「民主主義憲法」であるとか、日本は「立憲民主主義」の国であるとかいう言葉だけを覚えたのでは、いったいどうやって「このバランスを実現していくのだろうか」という重要な問いにまったく答えられない。そう、まったく答えられない。
最近つくづく思うのであるが、日本のすさまじくヒドイ社会科教育のもとでは、このように、子供(というかわれわれ大人もふくめて)の想像力を奪ってしまうような常識がまかり通っている。実際、こうしたウソの常識の多さは、呆れるほどである。
たとえば、日本国憲法の三つの特色は、国民主権、基本的人権の尊重、そして平和主義である、と、これまた決まったように、小学生のときから教えられる。しかし、「主権」という概念と「人権」という概念は、原理的に相容れ合わない。そんなことは、すこし想像力を働かせれば、すぐわかることである。主権というのは、国民にせよ、君主にせよ、唯一で絶対的な権力をもつ「誰か」が存在する、という考え方である。これに対して、「人権」というのは、いかなる「誰か」からも犯されることのない崇高な権利をわれわれ一人一人が持っている、という考え方である。
主権と人権が原理的に相容れないからこそ、たとえば、「主権国家」である中国における「人権」が問題となるのである。民主主義と憲法の問題と同様、主権と人権の問題も、相対立する二つの考え方の間でいかにバランスをとるかという話であって、そのようなバランスのとり方を自ら真剣に考え抜こうとしない限りは、いつまでたってもわれわれの中国に対するスタンスが腰の座ったものにはならない。
もうひとつ、日本国憲法についてのウソの常識としては、権力分立というまやかしがある。立法府から人を送り出して行政府を構成する議院内閣制が、権力分立の制度であるわけはない。権力分立の大前提は、同一人物が二つ以上の権限を握るポジションに就かないということである。ゆえに、立法府から行政府に送り出された大臣たちが、議会内での議員としての身分を辞するということが制度化していない限り、権力分立が確立されているとは到底いえない。また、そもそも、権力分立という考え方と、先の主権という考え方とは、相容れない。主権というのは、前述の通り、君主であれ、国民であれ、「誰か」が唯一で絶対的な権力をもつという考え方である。それゆえ、原理的には、どうして「唯一」で「絶対的」な権力を、分けることなどできるのであろうかと問わねばならないはずである。
この疑問に納得する回答が得られない限りは、どのような統治機構の形態が望ましいかというような問題について、われわれはおよそ体系的に考えることはできない。議会は一院制であるべきか二院制であるべきかとか、首相公選制を採用すべきか否かなどといった、今日一部で論争をよんでいるいくつかの「憲法問題」なるものを考える前に、われわれは「原理的に考える」習慣をまず身につけなければならないのである。

2008年07月10日

知っているようで知らないアメリカ建国の話シリーズその⑦~ハミルトンの伝説~

アレキサンダー・ハミルトンは、ワシントン大統領から信頼の厚かった初代財務長官であり、若くして権力と名声をほしいままにした男であった。しかし、その晩年は、惨めなものであった。ジェファーソンおよびマディソンとの政争に破れ、同じ連邦党の中でもアダムズとは犬猿の仲であり、義憤にかられて何度も決闘を仕掛けたり仕掛けられたりし、最後はアーロン・バーとの決闘で死ぬことになる。
ただし、連邦合衆国がいまのようにひとつの国家として発展する礎を築いたことにおいて、彼の功績は、いまでも高く評価されている。有名な話だが、アメリカで比較的頻繁に使われる10ドル札の肖像は、ハミルトンである。ハミルトンのほか、大統領になったことのない人物で、お札に使われているのは100ドル札のフランクリンしかいない。ハミルトンを10ドル札に起用したのは、クーリッジ大統領であった。クーリッジは共和党出身の大統領であり、共和党は産業界により近いとされている。ハミルトンは、アメリカのビジネスリーダーたちにとっては、最大の貢献者、永遠のヒーローなのである。ちなみに、これも有名な話しだが、ハミルトンの政敵であったジェファーソンは、というと、彼の肖像が使われているのは2ドル札である。しかし、日本の2千円札と同じで、アメリカで2ドル札というのは日常ほとんど使われない。ジェファーソンがこのように軽視されていることを不満に思って、ジェファーソンを多く流通している5セントコインのアイコンにしたのは、民主党出身の大統領フランクリン・ルーズベルトだったそうである。
ところで、ハミルトンの究極の命とりになったのは、女性問題、いまでいう不倫であった。当時、ハミルトンは、公的資金の流用疑惑も噂されており、議会のメンバーたちが彼を訪れて調査をすることになったが、彼は資金流用については否定するものの、不倫を認めてしまうこととなる。これが引き金となり、ハミルトンに対する信用は失墜する。さまざまな噂が流れ、そのたびにハミルトンは詳細な反論を書き、それゆえ結果として不倫の一部始終が世間に知られることになるのである。
議会の調査メンバーの中には、後に大統領となるジェームズ・モンローが含まれていた。ハミルトンの私生活についてさまざまな噂が流れるようになったのは、どうやらモンローが守秘義務を怠り、調査報告のためのメモを「友人」ジェファーソンに渡したからである、といわれている。そこで、モンローとハミルトンは、あわや決闘するかもしれない、という険悪な関係になった。
ハミルトンの死後、ハミルトンの妻エリザは、しばしばホワイトハウスの夕食会に招かれた。夫アレキサンダーの偉大さゆえにか、ファーストレディは必ずエリザに自分の椅子を譲って座らせようとしたらしい。おそらくは、エリザ自身も、夫と同様、魅力的で、また気丈な人物だったにちがいない。
ある時、すでに大統領を引退していたモンローが、エリザ・ハミルトン宅を訪れた。過去のことを水に流したいというモンローに対して、エリザは歓待するどころか、元大統領を椅子に座らせることもなく、その申し出を断ったという。エリザにとっては、モンローはあくまで、自分の夫を失墜させた張本人であった。モンローは静かに頭をさげ、その場を立ち去ったそうである。

2008年07月02日

ソックスの帳尻

銀行では、3時にシャッターがしまったあと、その日の金の出入りをとことん帳尻が合うまでチェックするのだと聞く。最後の1円まで計算が合わないと、銀行員さんたちは帰宅できないらしい。1円や2円計算が合わないだけだったら、自分の財布から出して、帳尻を合わせればよいではないかとも思えるが、たとえ金額が1円であっても、そこでちゃんとけじめをつけなければ、公私混同であることには変わりない。そうした行為を許すと、ひいては横領とか、架空名義口座とか、やってはいけないことへ道を開いてしまうことになるのかもしれない。
しかし、すごいと思うのは、1円まで帳尻を合わそうとして、毎日ちゃんと帳尻が合っているという、その事実である。朝起きて、テレビニュースで「横浜市の○○銀行は、昨日、入金と出金が一致しなかったため、やむをえず今日、業務を一日休むことになりました。お客様には大変ご迷惑をおかけしますが、ご理解ください、とのことです」なんて報道がなされたことは、もちろんいまだかつてない。つまり、世の中の銀行員さんたちは、目をサラのようにして金の出入りをチェックし、最後の1円まで探す努力を、来る日も来る日もけなげに続けておられるのである。
ひるがえって、我が家の話であるが、ウチではよくソックスの片方がなくなる。おかしいじゃんか、ソックスに足が生えて歩き出すことはない、どっかにあるはずだと、目をサラのようにして引き出しやタンスの中を探すのであるが、出てこない。
先日、勘定してみたら、そういう相棒なしソックスが4つもあることに気付いた。これは世の銀行とは大違いである。いつ頃からこうしてソックスの帳尻があってない状態が続いていたのだろうか、と自分ながら情けなくなってしまった。東証一部上場の大企業である銀行は、毎日1円まで、帳尻を合わす努力をしている。他方、はるか零細なウチはなんと4足も靴下がミッシングであっても、さして気にとめるわけでもなく、何事もなかったかのように生活が続いている。これはまずい・・・なんとかしなくてはいけない・・・、と、早稲田のちょいわるオヤジは思い立ったのでありました。
で、ふと思いついて、きのう、洗濯機をよいしょと前の方へ移動し、その後ろになにか隠れてないかなと見てみたら、いました、いました、片割れソックスの相棒たち。ホコリにまみれて、「ああ、見つかっちゃったか」という感じで、次から次へと出てきたのであります。そうなんですね、ボクは洗濯物を洗濯機にいれるとき、遠くから放り入れるクセがあるんですね。それで、もしやと思い、調べてみたのでした。こうしてようやく、我が家のソックスの帳尻を合わせることに成功したのでした。(面白いことに、そこには4足の片割れソックス以外は何もなかった。なんなのだろうか、このソックスの逃亡癖は??)
考えてみれば、このソックスの帳尻合わせに、ボクはかなりの時間と労力を費やした。結構頭脳も使って、あそこではないか、ここではないか、と考えもした。
こうした苦労をしたくないとすれば、どうすればよいか、もちろんわかりますよね。
そう、それは、持っているソックスを全部同じもので揃えればよいのであります。そうすれば、ひとつやふたつなくなったって、なんということはありません。

2008年07月01日

一緒に食事することの意義

ボクの大学院の指導では、修士と博士の学生を合わせて、2コマ続けて授業をしている。今年は、2限と3限にやっているので、その間には昼休みが入るが、ボクらは、弁当を配達してもらって、一緒に食べることにしている。食事を一緒にすることで、研究室の中の連帯感が強まる感じがしてよい。勉強以外のことでも、会話ができる場がそこに出来上がるからである。
友人から聴いた話だが、日本のある有名な二枚目男優さんはけっして自分が食事しているところを他人に見せないのだそうである。ロケでもスタジオでも、どこへいっても食べるときは一人きり。スタッフや共演者とも一緒に食べることはしないし、もちろんマスメディアはシャットアウト。なぜかというと、食べるというのは、その方にとってプライベートな行為だからだそうである。ま、そういわれてみれば、むしゃむしゃと音をたてて食べるクセがあることやどのおかずを食べ残しているかがわかっちゃったりしたら、男優としてイメージダウンにつながる可能性がある。ましてや、ホウレン草が歯の間に挟まっているところを必死で取ろうとしている表情が画像で報じられたりしちゃったら(←別にホウレン草でなくてもよいけど)、取り返しがつかない。食べるという行為の中に、本当は他人に見せたくない要素がいろいろと入っていることは、確かである。
だから、人と一緒に食事をするということは、プライベートな空間を共有することで、その人と親しくなりたいというメッセージを送っていることを意味する。院生たちへの指導においても、同じ弁当を食べることで、場の雰囲気がなごんでいることは疑いない。
しばしば、デートが食事を介して行われるのも、やはりそうした食事の効用があってのことである。もちろん、食事を介したデートには、いろいろな段階というかハイラーキーがある。それゆえ、どういう食事をするかによって、どういうデートにしたいのかについての重要なメッセージを相手に伝えることができる。
たとえば、午後のコーヒー&デザートに誘われたということは、相手はまだまだ「様子見」を決め込んでいるだけだ、と思った方がよい。コーヒー&デザートは、たとえそのようなデートがあったとしても、あとから「そういうつもりじゃなかったの」と平気でいえるような、デートハイラーキーの最下層に位置する段階でしかない。コーヒー&デザートに誘われたくらいで、舞い上がることは禁物である。
おそらくもっとも重要なのは、ランチデートである。はじめてランチに誘われたなら、準備は周到を尽くさなければならない。そこでは相手から、将来発展する可能性があるかを終始真剣に「テスト」されている、と思った方がよい。その場の成績次第ではさらにディナーへと発展するかもしれない。成績が悪ければ、もちろんそうした展開はない。ランチに誘われて、いつまでたってもディナーに誘われなかったら、それは「不合格」をもらったと思って、あきらめるしかないのである。
では、ディナーを一緒にするというのはどうか。これはもう完全に「脈あり」である。すくなくともディナーに誘った側は、その気満々にまちがいない。だからこの場合、問題は受ける側である。その誘いを受けてしまったら、それはあとから「そういうつもりはなかったの」というわけにはいかないような、デートである。だから、ディナーとは、誘うよりも誘われる方が、大きな決断を迫られていると思った方がよい。
悲しいことに、デートのハイラーキーは、登っていくだけのものではない。ときおり「ディナー」から「ランチ」への格下げが起こる、ということもある。あれれ、この前はディナーを一緒にしたのに、などと思ってももう遅い。それは、もう二人の間には将来がなくなりました、というメッセージを送られていると解さなければならないのである。