« 2008年夏ゼミOB会 | メイン | Nowadays, they don’t date, but they hang out »

知っているようで知らないアメリカ建国の話シリーズその⑧~「政府」という方言?~

1792年、フランス革命が飛び火してヨーロッパ全土に戦争が拡大したとき、ワシントン大統領は「中立宣言」を出した。この行為が条約の批准には上院の同意を必要とするというアメリカ連邦憲法の規定に違反して行われたのではないかどうかで、大論争になった。フランスとはすでに条約があり、中立宣言はその条約を事実上無効にする効果をもつ。そこで、マディソン(およびジェファーソン)は、自らの政治的立場がフランス革命に同情的であったこともあり、ワシントンの行為は憲法違反であると主張した。しかし、彼らの主張は、親英派で連邦派であるハミルトンらによって、退けられた。
当時マディソンとハミルトンとのあいだで激しく交わされた論争は、アメリカの歴史家や憲法学者のあいだでは『The Pacificus-Helvidius Debates』として重要視されているが、日本ではあまり知られていない。ボクの知る限り、この論争の邦訳は出ていないし、これについての研究もほとんどみたことがない。
しかし、とくにマディソン(Helvidusは彼のペンネーム)がこの論争の中で展開している議論は、非常に面白い。そう、それは、憲法を原理的に考える上で非常に面白いし、今日でも非常にためになるのである。
マディソンの議論のひとつは、そもそも「政府(government)」とは何か、という論点であった。マディソンは、「・・・言葉の使い方が、しばしば考え方そのものにしだいに影響を及ぼし、不適切な使い方によって、本来なら見逃すはずもない誤謬を覆い隠すにいたることが見受けられる」と述べ、「とくに、私は、執行府(Executive)の権限のみを指して『government』という言葉を用いる彼[ハミルトン]の用語法」に注意を促したいという(pp.90-91)。
マディソンによれば、ハミルトンは本来であれば「大統領」といえば済むところをわざと「government」という言葉で表現し、中立宣言が大統領すなわち執行府によって出されたのではなく、それよりも大きな「government」なるものによって出されたかの幻想をかもし出している、と批判している。しかし、そもそもgovernmentとは何であろうか。マディソンは、「アメリカにおいて、『政府』といった場合、それは政府全体を意味するのであって、単に執行府のみを指したり、執行府を優先的に意味したりするわけではない」(p.91)と断じる。たしかに、君主制のもとでは権限のすべての部分が、ひとつの、すなわち単数形の、「政府(government)」へと収斂していくであろう。しかし、立法府もあり、司法府もあるアメリカにおいて、執行府をgovernment(しかも単数形)と表すのはおかしい、というわけである。そして、マディソンは、ハミルトンがそのように巧みに言葉を選んで使っていることを、「新しい方言」である、と強烈に皮肉っているのである。
日本では、三権のひとつを「行政府」と呼ぶ。つねづね言っていることであるが、この呼称は、「立法府」や「司法府」とパラレルでないばかりか、それだけが(「行」を略して)「政府」であるがごときの印象を与えるので、きわめて不適切である。ボクは、これは「執行府」か、あるいはかつて明治の初期に使われていた「行法府」に改めているべきだと考えている。(三権のひとつにすぎない)内閣の官房長官でしかない町村さんが「政府といたしましては、・・・・」と発言するのを聴き、われわれがなんとも不思議に感じないとすれば、それはマディソンがいうところの「本来なら見逃すはずもない誤謬」にわれわれの方が覆い隠されてしまっているからにほかならない。
注:引用はすべてAlexander Hamilton and Jamese Madison (edited and with an Introduction by Morton J. Frisch), The Pacificus-Helvidius Debates of 1793-1794, Liberty Fund 2007 より