知っているようで知らないアメリカ建国の話シリーズその⑦~ハミルトンの伝説~
アレキサンダー・ハミルトンは、ワシントン大統領から信頼の厚かった初代財務長官であり、若くして権力と名声をほしいままにした男であった。しかし、その晩年は、惨めなものであった。ジェファーソンおよびマディソンとの政争に破れ、同じ連邦党の中でもアダムズとは犬猿の仲であり、義憤にかられて何度も決闘を仕掛けたり仕掛けられたりし、最後はアーロン・バーとの決闘で死ぬことになる。
ただし、連邦合衆国がいまのようにひとつの国家として発展する礎を築いたことにおいて、彼の功績は、いまでも高く評価されている。有名な話だが、アメリカで比較的頻繁に使われる10ドル札の肖像は、ハミルトンである。ハミルトンのほか、大統領になったことのない人物で、お札に使われているのは100ドル札のフランクリンしかいない。ハミルトンを10ドル札に起用したのは、クーリッジ大統領であった。クーリッジは共和党出身の大統領であり、共和党は産業界により近いとされている。ハミルトンは、アメリカのビジネスリーダーたちにとっては、最大の貢献者、永遠のヒーローなのである。ちなみに、これも有名な話しだが、ハミルトンの政敵であったジェファーソンは、というと、彼の肖像が使われているのは2ドル札である。しかし、日本の2千円札と同じで、アメリカで2ドル札というのは日常ほとんど使われない。ジェファーソンがこのように軽視されていることを不満に思って、ジェファーソンを多く流通している5セントコインのアイコンにしたのは、民主党出身の大統領フランクリン・ルーズベルトだったそうである。
ところで、ハミルトンの究極の命とりになったのは、女性問題、いまでいう不倫であった。当時、ハミルトンは、公的資金の流用疑惑も噂されており、議会のメンバーたちが彼を訪れて調査をすることになったが、彼は資金流用については否定するものの、不倫を認めてしまうこととなる。これが引き金となり、ハミルトンに対する信用は失墜する。さまざまな噂が流れ、そのたびにハミルトンは詳細な反論を書き、それゆえ結果として不倫の一部始終が世間に知られることになるのである。
議会の調査メンバーの中には、後に大統領となるジェームズ・モンローが含まれていた。ハミルトンの私生活についてさまざまな噂が流れるようになったのは、どうやらモンローが守秘義務を怠り、調査報告のためのメモを「友人」ジェファーソンに渡したからである、といわれている。そこで、モンローとハミルトンは、あわや決闘するかもしれない、という険悪な関係になった。
ハミルトンの死後、ハミルトンの妻エリザは、しばしばホワイトハウスの夕食会に招かれた。夫アレキサンダーの偉大さゆえにか、ファーストレディは必ずエリザに自分の椅子を譲って座らせようとしたらしい。おそらくは、エリザ自身も、夫と同様、魅力的で、また気丈な人物だったにちがいない。
ある時、すでに大統領を引退していたモンローが、エリザ・ハミルトン宅を訪れた。過去のことを水に流したいというモンローに対して、エリザは歓待するどころか、元大統領を椅子に座らせることもなく、その申し出を断ったという。エリザにとっては、モンローはあくまで、自分の夫を失墜させた張本人であった。モンローは静かに頭をさげ、その場を立ち去ったそうである。