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2006年07月28日

品田先生

世の中には、嫌われやすい人と好かれやすい人がいる。ボクが前者のタイプの典型だとすると、神戸大学の品田裕先生は後者の代表格である。まず、見るからに温厚である。物腰も柔らかい。歩いている時の「スタスタ」感といい、話すときの「トツトツ」感といい、独特の「間」を持っていらっしゃる。いつも、ボクは、品田さんのようになれたらいいなあ、と思っている。(品田さん、本当ですよ!)
で、昨日と今日と、ボクは品田さんと、研究会などで一緒だった。ところが、ボクは大失敗を犯してしまった。ある人に、品田さんを「同志社大学の品田さんです」と紹介してしまったのである。なんとも失礼な話しである。考えれば考えるほど、失礼な話である。ボクがサラリーマンだったとしたら、お得意様を誰かに紹介するときに会社名を間違うなんてことは許されない。自分の社内でも、所属を間違えて誰かに紹介しちゃったら、お叱りを頂戴するところである。あとで思ったのだが、もし誰かがボクを「青山学院の河野さんです」なんていったら、きっとボクは「この人ボクのことあんまり知らないんだ」と落胆するにちがいない。ましてや、誰かが「慶応の河野さんです」なんていったら、ボクは落胆を通りこして、きっと不機嫌になっているだろうと思う。
というわけで、ボクはそのあと反省しきりであった。それでも、品田さんはニコニコして、ボクのそんな無礼な間違いをやり過ごしてくれた。この辺からして、彼の人格がにじみ出ている。脱帽である。
はて、それにしてもなぜ間違ったのだろうか、と、そのあと自問自答してみた。で、思いついたのは、ボクの頭の中では、品田さんは、京都の人というイメージがあるからだ、ということになった。京都といえば御所、御所といえば同志社。それで、品田さん=京都=御所=同志社というように、ボクの中での連想ゲームが進んでいってしまったのだと思う。それに、現在、同志社には、西澤さん、森(裕城)さんという、選挙や投票行動を研究している優秀な研究者がそろっている。きっと、それも勘違いの源泉になっているかな、とも思った。
しかし、である。品田さんは、あのように一見イノセントにみせておいて、結構交渉上手、依頼上手なのである。実は、今日、電車の中で、品田さんから頼まれていたあることを思い出したので、「あの件はどうなっているんでしたっけ」とボクは聴いてみた。そしたら彼は、その件についてはまったく触れずに、あたかももうひとつ別の件のことをボクが尋ねているというフリをするのである。ボクは、その「別件」の方については、まったく聴いていない。初耳であった。で、ボクが「えっ?そんなの聴いてないですよ」というと、「あ、そうでしたっけ」と、おとぼけになる。そして、例の「トツトツ」感たっぶりに、その別件を説明し始めたのである。
何のことはない、品田さんは、ボクが「あの件」へ言及したことをうまく利用して、もうひとつの「別件」をも、ボクに押し付けようという作戦に出ているのである。そして、それをいかにもイノセントにするところが、彼の凄い技なのである。
今回のところは、一応ごまかして、その「別件」の方について確約するのをさけることに成功した。ただ、今度会う時までには、こちらもいろいろと交換条件を準備しておかなければ、と身を引き締めているところである。

2006年07月23日

総武線幕張駅

まったくもって、忙しくて、しばらく日記を更新できないでいました。この日記を楽しみに読んでくれている全国のみなさん(←最近急増しているらしい)、申し訳ありませんでした。
さて、今日のお題は、JR東日本総武線の幕張駅。なぜ、このお題になったかというと、この前、幕張のちかくにある放送大学に、来年度から始まるラジオの授業(「現代日本の政治」)の収録のため行ってきたからです。
実は、行くときは、総武線の幕張駅ではなく、京葉線の海浜幕張駅から行ったのでありました。しかし、東京駅の中で、京葉線の乗り場はスンゴイはずれたところにある。帰りも同じ道を通るのは嫌だなと思っていたら、放送大学の門番さんが、京葉線の海浜幕張ではなく、総武線の幕張にでたらよいではないか、と親切に教えてくれた。総武線なら、飯田橋まで一本で出られる。どちらも同じくらいの距離だというので、帰りは総武線にしようということになりました。そんなわけで、総武線幕張駅に、早稲田のちょいわるオヤジは、生まれてはじめて降り立ったわけなのでありました。
で、この幕張駅。結構面白い。
まず、京葉線の海浜幕張駅との、好対照。これに気付かないわけにはいかない。オレッチは幕張メッセの玄関口なんだからねと、なんか堂々と威張っている海浜幕張駅に対して、幕張駅の方は、なんとも見るからにしょんぼりしている。キレイ風ぴかぴか系の海浜幕張。それに対して、幕張の方は、イナカ風さびれさびれ系。駅前には高層ビルがひとつもなく、目立つのは緑色の看板の「千葉信用金庫」ぐらいしかない。ちょっと、アータ、「幕張」っていうぐらいだから、アータの方が本家ホンモノでしょう、向こうは「海浜幕張」って、分家に過ぎないわけでしょう、しっかりしなさいよ、って肩をたたいてやりたくなる(←?って、誰の?駅長の?)。
で、幕張駅のホームへ入ったら、いたるところに次のような看板がでていた。
「幕張メッセは幕張本郷下車です」
「社会保険事務所は幕張本郷下車です」
「運転免許センターは幕張本郷下車です」
「千葉マリーンスタジアムは幕張本郷下車です」
ご存知のとおり、幕張本郷というのは、同じ総武線の、となりの駅である。つまり、幕張駅は、降りてきた乗客に、「ここで降りてほんとうにいいんですか。となりの駅で降りた方がいいんじゃないですか。」というメッセージを、これでもかこれでもか、と送っているのである。あのさあ、じゃあ、いったい、この駅の近くには、何があるのよ、って、聞き返したくなるではありませんか。
幕張本郷からは、メッセまでのバスがでている。距離的には、幕張の方が近いのに、こちらには、バスのためのロータリーのスペースがない。いやー、なんとも悲しい話である。新興分家の海浜幕張だけでなく、幕張駅は、同じ総武線内でも本家としての地位と威信を脅かされているのである。
ここまでくると、もうあきらめの境地にはいっているのかもしれないね。それだから、この駅は、「本当にここで降りていいんですか」というような、自虐的メッセージにあふれているんだね。

2006年07月12日

工事は終わらない

この前、南北線で帰ったら、南北線の乗り入れている東急目黒線の武蔵小山と西小山の駅が、ともに地下にもぐっていてびっくりしてしまった。一夜にして、地上から地下へと、路線が切り替わっちゃったのである。「こんなことができちゃうんだ」と、まずは日本のそうした工事技術の水準の高さに恐れ入ったが、それとともにボクの胸中では哀愁の感が溢れ出した。武蔵小山も西小山も、ともに下町的な商店街の残る情緒ある町である。いつも大売出しの赤札を掲げるふとん店、ダイコンを安売りしている八百屋、駅前の焼き鳥屋の暖簾とその向こうに見えるサラリーマンの影、昔ながらのキャバレーとその前で客引きする蝶ネクタイ男、山積みになった放置自転車、ちょっと入ると猫が出てくる路地があり、そこに町工場がひしめいている、などなど・・・これらがボクの持っている武蔵小山と西小山のイメージである。前までの(地上)駅は、どちらも小さくカワイク、また暗くて汚くて(←失礼!)、そういった町の雰囲気とピッタリ釣合っていた。しかし、どうも、地下化された新しいピカピカの駅は、似合っているとはいえない。
踏み切りを避けるためだか、地上に駅ビルを建てるためだか知らないが、ボクの馴染み深い東急沿線からは、昔のスタイルの駅がどんどん消滅している。東横線も、かつては、日吉とか新丸子とか田園調布とか、個性あふれる駅がたくさんあった。今では、それらが、画一化され、地下にもぐった駅に次々変身している。今では、田園調布と日吉と大岡山は、簡単には見分けられない駅になってしまった。酔っ払っていたら、日吉で降りるつもりが、田園調布で降りてしまうことも、十分考えられる。そして、これは、笑い事ではないのである。
ま、近代化や都市化の流れだからしょうがないねとあきらめることもできるが、ボクには、どうもしっくり来ないところがある。どうもボクには、近代化とか都市化とやらが、未来永劫、これからずっと続くプロセスなのだ、ということが、自分自身でよく理解できてないような気がするのである。
ええと、どういえばいいのかな。工事とは、ふつうわれわれは、始まりがあって終わりがあるもの、として理解している。建設現場などでよく「工事中、ご迷惑をおかけします」という看板を見かけるが、これは「工事が終わったら、元の静かな生活に戻れますから、それまでちょっとのあいだ辛抱してください」というような意味の看板である。しかし、実は、工事は終わることがない。近代化、都市化の流れのなかでは、工事は永遠に続くのである。
たしかに、今回、西小山と武蔵小山の駅は、地下にもぐった。しかし、東急関連では、現在、武蔵小杉までしか乗り入れていない目黒線を、日吉まで伸ばす別の大工事がすでに進行中である。それとは別に、渋谷では東急文化会館が取り壊され、そのスペースを利用し、うまく東横線が早稲田近辺まで地下鉄で乗り入れできるための工事が進んでいるらしい。そして、ご存知のとおり、その地下鉄のための工事で、明治通りはここ何年か常に工事中であり、昼から夜まで渋滞の温床となっている。つまり、ある工事が終わっても、次の工事、その工事が終わっても、そのまた次の工事・・・というように、ここには終わりのないプロセスがある。すべての工事がおわり、いつか安寧の地に至るということは、ボクらにはありえない。
「工事中ご迷惑をおかけします」などというのは、なんともしらじらしい感じがする。考えるとちょっとおぞましいが、そうした工事中の看板がひとつもない、静かな世界にわれわれが住むようになる時代は、絶対に訪れないと考えた方がよいのである。

2006年07月10日

似ている、ということ

先々週だったか、ゼミの途中で、あることに気付いた。
ボクと出村君は、似ているかも、と。
髪の長さもスタイルも、顔の形も結構似ている。かけてるメガネまで、似ている。
そう考えると、なんだか出村君の話し方まで、ボクの話し方に似ているような気がしてきた。
その瞬間、ボクの内部で衝撃が走った。いったい、このことについて、どう考えていけばよいのか、という自問が始まった。
まてよ・・・他人の空似というのは、よくあることではないか・・・そんなことで、いちいちうろたえるのはおかしいぞ・・・と、一応思ってみる。
しかし、まてよ・・・もしゼミ生の誰かが気付いちゃって、「出村君と先生ってサア、なんか似てない?」なんていいだしたら、どうしようか・・・いや、これは気まずいゾオ・・・いくらなんでも「おお、そうか、それは嬉しいねえ」なんて白々しくて言えやしない・・・かといって「いやそんなことないよ」なんていったら、出村君が傷ついちゃうかもしれない・・・さあて、どう、受け流せばいいんだろう・・・
出村君は、ボクのゼミ生である。ボクは、ゼミの教官である。これからも、ボクと出村君は、机を隔てて、何度も何度も、顔を会わせなければならない。そのたびに、お互いがちらちらと似ていることを確認しあうのは、なんとも気持ち悪い・・・まわりのみんなから、じろじろと見比べられるのも嫌だし・・・
でも、ですね、今日ですね、実は、ボクは、じっくり出村君を観察しました。
そしたら、それほど似ていない、という結論に達しました。
なあーんだ、よかった、よかった。めでたし、めでたし(?)。
というわけで、そのことを、この日記に書くことにしたのであります。
ところで、なぜ、血のつながりのない赤の他人同士が似ているなんてことがあるのか?ボクは、それは人間の認知力の問題ではないか、と思っている。
人間の顔とか表情は、DNAによって決まっている。おそらくは数え切れないコンビネーションがあるのであろうけれども、人間は生活上、そうした巨大な情報を自分にとって分かりやすい情報、処理できるぐらいの情報に圧縮して考えなければやっていけない。それゆえ、人間は、知らず知らず、顔とか表情とかの特徴をいろいろな(おそらくはそれほど多くない)カテゴリーに分けて考えるようになっている。まったく関係のない人同士のあいだにも、共通項を見出そうとする習性がついているのは、そのためだと思う。
人種や民族のステレオタイプも、同じ理由から起こるのであろう。それから、親と子が似ている(ように見える)のも、親子だと知っているから、見ている方が共通項を見出そうというバイアスをもっていることの影響が大きいと思う。それが証拠に、世の中には、言われてみなければけっして親子とわからないような、一見全然似てない親子もちゃんといる。
さて、中田英寿が引退することになった。ボクは、いろいろな人から中田に似ているといわれる。このあいだも、ボクの日記を読んでくれている学生から、「引退残念ですね。ところで、先生って、中田に似てますね」といわれた。もちろん、悪い気はしない。ボク、中田大好きだからね。しかし、そういう場合、それはチガウだろうと、次のように諭してやることにしている。「キミねえ、オレと中田とどっちが年上だと思っているの?オレが中田に似ているんじゃないの。中田がオレに似たんだからね。」

2006年07月03日

ボクの好きなライブアルバム

スタジオ録音とライブ録音とでは、やっぱり根本的にちがう、という感じがする。まあ、そんなの当たり前といえば、当たり前だけどね。ボクは、スタジオ録音の音楽を聞くと、ライブにくらべて、どうしても緊張感という点で劣っていると思ってしまう。失敗したってどうせ後から音をかぶせられるじゃないかという先入観がこちら側にあるもんだから、なかなか心底から感動することがない。しかし、ライブ録音、とくに「いわくつき」のコンサートを録音したものは、いずれも、物凄い緊張感がみなぎっていて、楽しめる。
1938年、殿堂カーネギーホールにおいて、はじめてジャズを演奏したのは、ベニー・グッドマンであった。その演奏をまとめた2枚組を、ボクはときどき聴く。マイク一本で録音されたもので音質はひどいが、にもかかわらず、いつ聞いてもすさまじい迫力を感じる。その時、演者として、デューク・エリントンではなく、またカウント・ベイシーでもなく、ベニー・グッドマンが選ばれたのは、彼が白人だったからだといわれている。エリントンらそうそうたる黒人のジャズミュージシャンたちは、観客席からベニー・グッドマンを見守っていた。そんな中、ベニー・グッドマンと彼のバンドは、一世一代の素晴らしい演奏をした。ライバルたちが見守るプレッシャーが、この名演奏を生み出したのである。
解散する前のMJQのラストコンサートも、ボクのお気に入りである。最初に収録されているSoftly as in the Morning Sunriseの、なんとおごそかなことか。これから最後のコンサートをやるんだという、決意のみなぎった演奏になっている。そして、なかほどまでくると、4人は、グループとして最後となる演奏を楽しんでいるかのようである(←実は後に再結成されることになるが・・・)。たとえば、Skating in Central Park。ゆったりとして、聴いているものをニューヨークでスケートをしている気分にさせてくれる。さらに、なんといっても極めつけは、アンコール曲のBag’s Grooveである。ジョン・ルイスのピアノ、パーシー・ヒースのベースのソロを、ボクは何度お風呂の中で口笛吹いたことか。
ボブ・ディランを聴くときは、Before the Flood、日本語では「偉大なる復活」というタイトルがついている2枚組である。バックを担当しているザ・バンドのUp on Cripple CreekやI Shall Be Releasedも秀逸の出来だと思う。しかし、何より、ディランが、Don’t Think Twice, Its All Right、Just Like a Womanの2曲を、彼のギターとハーモニカだけで続けて歌うところが、最高の聴きどころである。
ライブは、映像がなくても、十分その場の張り詰めた空気が伝わってくる。しかし、映像があると、やはりその場との一体感が高まる。この前、ボクはフンパツして、キース・ジャレットの2002年の東京ソロコンサートのDVDを買ってしまった。実は、東京ソロは、たとえばケルンなどと比べるとあんまり評判がよくない。たしかに、現代音楽の音階が多くて、ボクなどにはついていけないところがある。でも、その中でも、最後の方に収録されているPart 2dは、本当に素晴らしい。こんな美しいメロディーがどこから出てきちゃうのだろう、と思ってしまう。ボクは、聴いているうちに自然にポロポロと涙を流してしまった。みなさんも、ぜひ聴いてみてください。