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2013年01月28日

人間は同じという見方、人間は違うという見方

「自然は人びとを、心身の諸能力において平等につくったのであり、その程度は、ある人が他の人よりも肉体においてあきらかにつよいとか、精神の動きがはやいということが、ときどきみられるにしても、すべてをいっしょにして考えれば、人と人との違いは、ある人がそのちがいにもとづいて、他人がかれと同様には主張してはならないような便益を、主張できるほど顕著なものではない、というほどなのである。」(ホッブス[1651]『レヴァイアサン』第13章(水田洋訳)岩波文庫, 207ページ)

“When we consider how nearly equal all men are in their bodily force, and even in their mental powers and faculties, till cultivated by education, we must necessarily allow, that nothing but their own consent could, at first, associate them together, and subject them to any authority.” (David Hume [1748], “Of the Original Contract”)

「さまざまの人の生得の才能の差異というものは、われわれが気づいているよりも、実ははるかに小さいものであって、さまざまな職業にたずさわる人々が青年に達すると、天分にひじょうな差異があっていかんも他をひきはなしているように思われるけれども、多くのばあい、それは分業の原因というよりもむしろその結果なのである。もっとも異質的な人物のあいだの差異、たとえば哲学者と街頭のありふれた荷運人とのあいだの差異にしても、それは生得のものから生じているというよりも、むしろ習癖・習慣および教育から生じるように思われる。かれらがこの世に生まれでてきたとき、つまりその生存の最初の六年ないし八年のあいだというものは、かれらはおそらくはひじょうによく似ていたであろうし、またかれらの両親もあそび仲間も、なに一つとして顕著な差異をみとめなかったであろう。...取引し、交易し、そして交換するという性癖がなかったならば、あらゆる人はそのほしいと思うあらゆる生活必需品および便益品を自分自身で調達しなければならなかったはずである。」(アダム・スミス[1776]『諸国民の富』第1編第2章(大内兵衛・松川七郎訳)岩波文庫, 121ページ)

「およそ人間の理性が誤りうるものであり、人間がその理性を自由に行使しうるものである限り、相異なった意見が生ずるのは当然であろう。人間の理性とその自愛心との間につながりがある限り、その意見と感情とは互いに影響し合う。...人間の才能が多種多様なものであるところから財産権が生じるのであるが、それと同様、人間の才能が多様であることにこそまた人間の利害関係が同一たりえない基本的な原因がある。そして、こうした人間の多様な才能を保護することこそ、何よりも政府の目的なのである。」(マディソン[1787]『フェデラリスト』第10篇(斎藤眞訳)岩波文庫, 54-55ページ)

2013年01月22日

オバマさんの就任演説

オバマさんの二期目の大統領就任演説をビデオで見た。伝え聞くところによると、オバマさんは、「二期目」をつとめた過去の大統領の演説をよく調べ上げて、最後の最後まで、自分で原稿に手を入れたのだそうだ。演説のすぐあとPBSで行われていた歴史学者たちの鼎談のなかでは、ある方(確かエール大学の教授)が、オバマさんの演説は、F・ルーズベルトの二期目の演説のスタイルに似ていた、と発言していた。ま、そうかもしれない(ボクはその演説を聞いたことがないので、なんともいえない)。
しかし、ボクは、この演説はオバマさんならでは、という気がした。そして、20分という短いものだったけど、とても素晴らしい演説だと思った。
今回のオバマさんの演説は、ジェファソンが起草したアメリカ独立宣言の一節、We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happinessを引用するところから始まる。この建国時の誓いは、残念ながら、二百数十年たった今も、まだ実現されていない。だからそれを実現していこうではないか。いろいろな違いを乗り越えて、いろいろな政策を通して、みんなでそれを実現していこうではないか。それが、今回の演説の大きなメッセージだった。
さて、いつもながら(というと失礼だが)、日本のメディアはことごとく、この演説の意義というか、重要な部分を伝え損なっていた。いくつかの新聞は、演説の内容を無理矢理に日本との関係に引き寄せて、オバマさんが「同盟国との関係を強化していく」と語った部分を強調していた。しかし、この部分はこの演説にとってまったくもって枝葉末節な部分でしかない。そんなところを取り上げてレポートするのは、ま、はっきりいって、ジャーナリズムとしてセンスがないとしか、いいようがない。
あるいは、さっき見ていたテレビなどでは、オバマさんはこの演説で、国家としての「団結」や「連携」を訴えかけようとした、とさかんに説明していた。それは確かにそうなんだが、しかし、団結や連携を訴えたとだけきくと、オバマさんの演説が「穏健なものだったのか」という印象を与えてしまう。もしそのような印象が伝わるとすると、とんでもない誤解である。というのは、実は、今回のオバマさの演説は、かなりラディカルな内容を含むものだったからである。
演説の中で、観衆の反応がもっとも盛り上がったところ、そしてこここそが今回の演説のキモだと思われるところは、(独立宣言の言葉にもかかわらず)女性や黒人そしてゲイの人々に平等な権利が与えられていないことを訴えた部分である。このくだりでは、オバマさんは具体的な固有名詞を列挙し、聴く人たちの感情を鼓舞していた。1つ目は Seneca Falls。これは、1848年というきわめて早い時期に、女性の権利についての会議が開かれた場所として知られている。そして Selma, Alabama。1965年の 公民権運動の記念碑的な場所である。そして、今回とくに歓声があがったのが、ニューヨークのゲー・バー、The Stonewall 。1969年ここに警察が踏み込み乱闘になったことが、ゲイの権利の運動に火をつけるきっかけとなった場所である。こうして、オバマさんは、これらマイノリティの人々の権利を十全に実現していくことこそ、自分に与えられた二期目の大統領としての仕事だ、と力強く宣言したのである。そこには、団結や連携ではなく、そういう権利の前に立ちはだかる偏見や悪しき伝統と対決するという姿勢がみなぎっていた。
もう一カ所、オバマさんが固有名詞を列挙したくだりがあった。その中に出てきたNewtownという名前。そう、あのコネチカット州ニュータウン、26人もの小学生が銃の乱射によって、犠牲になってしまった場所である。こうした子供たちのLife, Liberty, and Pursuit of Happinessが与えられない限りは、われわれの旅は終わらない、とオバマさんは説いた。ここでも、彼は静かに(しかしラディカルに)銃規制に反対する人たちに対して、戦いを挑んでいく姿勢を明確にしたのである。

2013年01月05日

ゼミ新年会(2013年)

皆さん、明けましておめでとうございます。
さて、本日、横浜にて、恒例の河野ゼミ新年会が開かれました。
まず、馬車道近くのキャプテン翼スタジアムで、2時間みっちりフットサル。現役生に加えて、4期生OBの木村君、奥村君が来てくれました。
3チームに分かれて、6分刻みでゲームをどんどん回していった。寒かったので、ボクは休むのが嫌で、人数が足りない方のチームに入って、動き回った。でも、やっぱり若い学生たちにはついていけない。タクミ、タクジ、ナオ、トルコ、ミツタケ、いつもながらいい動きをしていた。一方、ユイが絶不調で何本もシュートチャンスを逃していた。あとできいたら、昨日まで函館の実家で飲んだくれて、二日酔いだったのだそうだ。対照的だったのが、カナちゃん。ゴール前左に張って、何度も決定的なパスを味方に送っていた。エリコもチカも、あちらこちらに動き回り、楽しそうにしていた。イナタも、独特の(サッカーというよりはラグビーの)リズムで、頑張っていた。
どことなく、マノが元気なかった(おい、大丈夫か?)。あと、エモも、キーパーの時、結構イージーなボールをゴールされていた(ま、フットサルより、本当のサッカーが本業なんだよね)。
最後は、3年生v.s.4年生のガチンコ勝負。3年生チームに入った木村君の芸術的な後ろ向きヘディングシュートが決まり、これで勝負あったかにみえたが、4年生の根岸君が胸でトラップしたボールを倒れ込みながらそのままヴォレーして同点。いやー、最後まで白熱して凄いいい試合だった。
楽しかったです。
で、その後、これまた恒例の、中華街青葉新館に移動して、食事会でした。
木村君が婚約者を連れてきてくれて、ボクとボクの奥さんに紹介してくれた。
ラクロスをやっていたという体育会系の方で、木村君にはこの人しかいないだろうという感じの人だった。
かと思えば、食事会から参加の、同じく4期生出村君も、同じく婚約者を連れてきて、紹介してくれた。上智のボクの後輩にあたる方で、お互いを大切にしあっているというオーラが伝わってきた。
いやー、嬉しかったねえ。二人とも本当に素敵な女性で、われわれみんなに幸せを分け与えてくれました。うるさいゼミの新年会に来て下さって、本当にありがとうございました、末永くお幸せに。
というわけで、今年も、実にハッピーなスタートが切れました。
幹事のイセタン、本当にありがとう。
ゼミ生諸君、明後日からはまたゼミが再開しますよ。
今年も、ビシビシ、容赦なく、いきますからね。
みなさま、今年もどうぞよろしくお願いします。