直感と直感との間
震災復興の財源として消費税を増税すべきであるという意見に対して、「消費税は、一般的・普遍的に課される税であり、それを増税するとなると、震災の被害を受けた地域の人々にも負担がかかることになり、不公平である」という反論がある。
すこし前のNHKの番組「日曜討論」の中で、自民党の石原伸晃幹事長がそのような発言をしていた。
たしかに、この反論は、ひとつの直感としては「そうかもね」と受け入れられるような気がする。
しかし、もし「震災を受けた人々に負担がかかることは不公平である」のなら、論理的には、「震災を受けなかった人々が負担することが公平である」という議論を次に展開しなければならない。すると、つきつめれば、石原さんは、震災の被害をそれほど受けなかった人々、たとえば九州や四国、近畿地方などに限定される特別な増税をすることが好ましい、という議論を支持していたことになる。しかし、おそらく、そのような新税構想も、多くの人々の直感としては、不公平なものと感じられるのではないだろうか。石原さんは、自分がいっていることがそのような含意をもっていたことには、まったく自覚的ではなかったようであるが。
さてはて、これは、いったいどういうことか。要するに、ここには、二つの論理的に整合的な命題があり、それらは一方を受け入れたら他方も受け入れなければならないものであるにもかかわらず、直感としてはどうも、一方は受け入れられたとしても、他方は受け入れられないという状況があるのである。
ここで、ボクは「だから人間の直感なんて、当てにならないよね」などといいたいのではない。
むしろ、まったく逆で、ボクは直感を大事にしなければいけないと主張したいのである。
多様な人間が共存している社会において、どういう状態が「公平」で、どういう状態が「不公平」であるかについて、唯一正しい答えなど、あるわけがないではないか。それゆえ、論理や理性の力だけに頼って完璧な復興計画を立てることも、その財源を議論することも、不可能に決まっている。
しかし、重要なのは、その先である。「直感を大事にする」ということの代償は、実は、人間の直感がときに相矛盾する含意や結論を導いてしまう可能性に対して、謙虚であり自覚的でなければならない、ということである。とりわけ、政策形成に携わる政治家たちは、自らの直感が(論理的につきつめると)どのような矛盾に陥るかを正々堂々と開示して、有権者の判断をあおぐ度量をもってなければならない。だから、(石原さんのように)「東北地方に負担をかけるような増税はさけるべきだ」という主張をしたいのであれば、その主張と「九州や四国、近畿地方などだけに限定された増税をすべきである」というもう一つの主張との間をちゃんと結んでみせて、それでもまだ前者の主張に執着する理由を、ちゃんと説明しなければならないのである。