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2008年03月25日

卒業おめでとう 2008

河野ゼミ4期生のみなさん、卒業おめでとう。
3月25日の卒業式の式典には参列できませんが、代わりにこの日記で君たちへ贈る言葉を書き残します。

この2年の間、君たちと接し、すこしずつ一人ひとりを知ることができたことを、光栄に思います。ゼミで過ごした時間が、君たちにとって、人生の中で貴重な経験として、これからも大切に記憶されていくことを心から願っています。
また、ボクも、君たちと一緒に過ごせたことで、自分の人生を豊かにすることができました。本当にありがとうございました。
この2年を振り返り、なにより思い知らされるのは、君たち一人ひとりの個性の強さです。何ごとにも物怖じせずに積極的な人、飲み会で抜群の能力を発揮する人、ピュアな心を持った人、暖かい心配りのできる人、意外性に満ちた人、研究者としての才能に恵まれた人、後輩の面倒見がいい人・・・などなど。個性に満ち溢れていることは、素晴らしい。なぜなら、人が輝いている時とは、その人の個性がいかんなく発揮されている時にほかならないからです。これから社会に出て行ったあとも、自分の個性を大事にしながら、存分に活躍してください。
今年卒業していく君たちも、去年の3期生に負けず劣らず、みな素晴らしい卒業論文を完成させました。これは、本当に、誇りに思ってください。おそらく、君たちは、自分の可能性を一歩、そしてまた一歩と先へ伸ばしながら、ひとつのプロジェクトを完成させていくことの快感を覚えたのではないでしょうか。これからは君たちの人生そのものを、そのようなプロジェクトだと思い、同じところに留まるのではなく、つねに前を見据えていってください。
新しい一歩を踏み出すときに、あまり後ろを振り返ってはいけません。しかし、いつでも心と身体を休めるために、ゼミへ遊びに来てください。そして、君たちの輝きを後輩にみせてあげてください。

卒業にあたって、今年は以下の言葉を贈ることにしました。

社会へ飛び立つ君よ、英雄たれ
To strive, to seek, to find, and not to yield.
(Alfred Lord Tennyson, Ulysses より)

河野ゼミ4期生に、乾杯! 

2008年03月19日

エスカレーターに関する規範について

社会における規範とは何か、とか、なぜこの世の中に規範なるものが存在するのか、とか、なんともコムズカシイ問題を考える上で、われわれが日常利用するエスカレーターは、実に興味深い題材をいくつも提供してくれる。
ご存知の通り、関東では、エスカレーターに乗ると左側に寄り、右側を空けるという作法が成立している。この作法をみんなが守ることによって、急いでいる人が右側を通って追い越していくことができるようになっている(←関西ではこれが左右反対であるという話もよく知られているが、今日はその問題はおいておく)。
さて、こんな作法は、昔は存在しなかった。つまり、昔は、誰も、エスカレーターに乗っているときに人を追い越そうなどとは、思いもよらなかったのである。
ということは、この話は、エスカレーターについての規範がいまと昔とで、大きく変化したことを物語っている。ここでいう規範とは、「社会の中で、人々があまりに自明だと思っているので、知らず知らずのうちにそれに従ってしまうもの」、という程度の意味である。
では、なぜ「エスカレーターでは追い越すものではない」という規範から、「エスカレーターでも追い越してもよい」という規範へと、変化したのだろうか。ボクが思うに、その理由は日本人の社会生活が忙しくなったからとか、あるいは最近の日本人が前よりせっかちになったからということではなく、単純に、日本の平均的なエスカレーターの距離が長くなったことに関係している。
実際、一昔前までエスカレーターはどこにあったかというと、それはデパートの中にしかなかった。デパートの中のエスカレーターは、階と階とを結ぶ短い距離のもので、人は追い抜こうなどと考える余地もなく、あっという間に着いてしまう。
しかし、どこの駅にもエスカレーターが設置されるようになり、しかも地下鉄が増え、地下数十メートルから数百メートルにまで届くエスカレーターができるようになって、日本の平均的エスカレーターの距離はぐんぐんと長くなった。そうした中で、ずっと立ったまま、人を追い抜けないままでいると、急いでいる人にとってはなんとも効率が悪い。そこで、「追い抜いてもよい」という規範が自然と生まれ、それに従って上記の作法が確立されるようになったのである。
さて、ここまでだけなら、社会の規範には何らかの合理的根拠があるということを示唆するひとつの物語りとしてめでたく完結するのであるが、実は、話はここでは、おわらない。
たしかに、適度に長いエスカレーターであれば、人を追い越させるために片側を空ける作法は効率的であるが、最近一部の駅に設置されているような、気の遠くなるぐらい長いエスカレーターでは、いくら右側が空いていても、追い越そうとする人はほとんどいない(なぜなら、一度右側を選択すると、その人はずっとその気の遠くなるエスカレーターを登り続けなければならないからである)。実際、ボクのよく利用するみなとみらい駅の長いエスカレーターでは、作法が確立しているがゆえに、誰も右側には乗らないでいる状況が毎日毎日繰り返されている。
ここでわれわれが目の当たりにしているのは、規範の存在がちっとも合理的な結果を生んでいないという事実である。なぜなら、左側だけでなく、右側にも人が立てることが許されるとしたら、みなとみらい駅のエスカレーターはもっと効率的に、今よりも2倍の人を同じ時間内に運ぶことができるはずだからである。

2008年03月12日

大井町の意外と一興

ボクにとって、大井町はいつも「通過駅」であった。
京浜東北線から大井町線に乗り換えるときに使う駅。ただ、それだけの駅。
降りたこともないし、当然どんな店があるのかも知らない。
ところが、友人でボクのテニスのコーチであるO君は、「先生、大井町いいっすよ、なかなか。捨てたもんじゃないっすよ」という。彼は、長らく仕事場が大井町の近くだったので、美味しいところをいろいろ知っている、というのである。
というわけで、行ってきました、大井町。
場所は、とある焼き鳥店さん。面子は、O君はじめ、テニス関係者4名。
まず頼んだのが、マグロのぶつ切り。みたところ、なんの変哲もない、ちょっと普通すぎるくらい普通の赤身のマグロなのに、脂の乗り方が完璧でした。
「ホントだ、いいねえ。美味い、美味い」と褒める。
ついで、出てきたのが、キャベツ。これも、なんの変哲もないキャベツ。ザルの上に、どかどかとチギッてあって、ごま油と塩がかけてあるだけ。ところが、それがいける。
「ほう、なかなか」などといいながら、バリバリ食べてる。
それから、お任せで何本か頼む。手羽先、モツ、ハラミなどがでてきた。お好みでワサビをつけて食べる。「なるほどなるほど・・・結構いけるね・・・うん、なかなか・・・」。つべこべ言いながら、もうすっかりこの店のファンになっている。
そして、O君が「ミンピー」なるものを注文する。
ミンピー?
ミンチのミンに、ピーマンのピー。つくねをほぐし、それを半分に切ったピーマンで巻いて食べるのである。ピーマンには、軽く塩が振ってある。
これが最高に美味かった!
「うまい!これ、うまい!」を連発。
いや、本当に大井町は捨てたもんではない。
雰囲気も、一興であった。
その店では、常連と思しき客が、カウンターでひとりずっと飲んでいた。
どうみても、あんまり肝っ玉の大きそうな男ではない。後から入ってきたもう一人のシングル客に、なにかご馳走して、自己完結的に喜んでいた。
そしてこの男、一生懸命、外国人と思しき店員さんを口説いていたのである。
しかし、その口説き方が、なんとも中途半端であった。「・・・・ナントカカントカナントカ・・・(君)ほんと、可愛いよね。じゃ、今度、ボクとデートしようか」。
あのねぇ、「じゃ」じゃないでしょ。「デートしようか」じゃなくて、「デートして下さい」でしょ。
なんで正直に、堂々といえないんだよ。はずかしいのかよ、その歳にもなって。
で、帰るとき、その客は、女から「じゃ、また明日ね」と声をかけられていた。
そうか、この情景はここで毎晩起こっているんだ。そう思うと、情が通っていて、微笑ましく思えてくるのであった。

2008年03月11日

レトロな食堂を定義する

ボクはレトロな食堂が大好きである。
レトロな食堂では、「ミックスフライ定食」とか「ハヤシライス」などを食べたい。
そう、レトロな食堂には、ミックスフライとハヤシライスがなければならない。
これがレトロな食堂を定義する上での、ボクの大前提である。
で、ミックスフライがあるということは、牡蠣フライもあるし、海老フライもあるし、鯵のフライもあるし・・・ということでなければならない(←これは単純な演繹的推論である)。ま、要するにフライ系はすべてカバーしている、ということでなければならない(これをレンマ=補助命題としておく)。
それから、ハヤシライスがあるということは、カレーライスも作っているということでなければならない(←これは演繹というよりは、アナロジー=類推だな)。
いずれにせよ、ということは、当然(上の「全フライカバー」命題と併せると)、レトロな食堂にはカツカレーもある、という結論が論理的に導けることになる。
                           ・・・・QED(←??)
・・・というわけで、ずっと前から一度入ってみたかった横浜の「セントラルグリル」に行ってきました。
場所は、本町通りと日本大通りの角。「ええっ、こんなところに?」という大きな交差点に、堂々と、このレトロな食堂はある。
入ってみると、フライ系だけではなく、サバ味噌煮定食とか金目煮付け定食とかもメニューに載っている。ゆで卵と納豆は、単品で注文できるらしい。うーん、これにはちょっと迷った。どうしようかな、フライ系高カロリー路線をやめて、こうした小物を従えての煮魚系に大胆に路線変更するかなとあたふたしましたが、ここは初志貫徹と思い返し、ヒレカツカレーを食べることに。そしたら、キャベツがチョコッと付いて、味噌汁まで付いてきました。そう、だから、正確には、ボクが食べたのは、ヒレカツカレー定食なのでした。美味しかった・・・。
ボクにいわせると、世の中には「レトロ風の食堂」はたくさんあるが、本当に「レトロな食堂」はそれらからきちんと区別されなければならない。本当にレトロな食堂というのは、食器や調度品の古さだけで決まるのではない。そこで働いている人たちも「レトロ」に徹してなければならない。だから、若いシェフやウェイトレスだけがやっているレトロな食堂というのは、ボクの定義上ない。レトロな食堂で働く人たちは、カッポウ着を身につけているとか三角巾のようなものを頭にかぶっているとか、あるいはかけているメガネが昭和の時代に流行したスタイルであるとか、どこかしら存在からしてレトロ性をかもし出している人々でなければならない。
もうひとつ、レトロな食堂というのは、(このセントラルグリルがそうであるように)「こんなところに」というような意外な場所になければならない。そして、それはそこにずーっとそのままの形で存在していたのでなければならない。オシャレな六本木や西麻布などに、レトロ風を売りにして新たに改装した店というのは、本当にレトロな店だとはいえない。
レトロな店は、年輪を感じさせる。それは、いろいろな人や事件に出会い、さまざまな経験をつんできた人間がそうであるのとまったく同じ理由で、とっても魅力的である。

2008年03月05日

ハイドンの無尽蔵

この世の中には、「無尽蔵なもの」は、なかなか存在しない。
たとえば、ボクのような凡人には、ときどき「お金が無尽蔵に使えるほどあったらいいな」とか、「ワインが無尽蔵に飲めたら・・・」、あるいは「ポテトチップを無尽蔵に食べられたら・・・」などという妄想が訪れる。
しかし、当然のことながら、誰だってお小遣いには制限がある(←パリス・ヒルトンを除いては)。最近のボクだと、ワインボトル半分飲んだら酔っ払ってしまうし、チップスターのカンをまるごと一気に食べつくしたのは、もうかれこれ10年ぐらい前の話になってしまった。
無尽蔵であることは、現実ではなく、理想郷というか、遠い憧れの世界の話なのである。
ところが、最近無尽蔵に出合った。少なくとも「無尽蔵に近いもの」に遭遇してしまった。それは、ハイドンの音楽である。
ハイドンは、まぎれもない天才である。交響曲も弦楽四重奏曲も、それ以外の音楽も、実にたくさんの作品をこの世に残していってくれた。
ボクが最初にハイドンをいいと思ったのは、随分昔に、ある人から薦められてチェロ・コンチェルト2番の第2楽章を聴いたときであった。それは、ゆったりとして、ところどころに沈黙があって、まさに癒しの音楽である。疲れた朝に電車の中などで聴くと、間違いなく心地よい眠りに誘ってくれる。今でも、このコンチェルトはよく聴くが、ボクのハイドン体験は、しばらく長い間そこに留まっていたのである。
しかし、少し前に、あるラジオ番組でハイドンの弦楽四重奏曲を聴いて、ボクはたちまちとりこになってしまった。で、先日ようやく、CDにして21枚からなるそのcomplete setを買ってきた。そう、なんと21枚にびっしり詰まっているのである。
このところ、それを片っ端から聴いている。
音楽を聴く上での「無尽蔵性」(←そんな言葉あるのか知らないが)は、大切である。
なぜなら、音楽というのは、どんな気に入ったものであっても、いつかは飽きる時が来るからである。それゆえ、好きな音楽を聴くことには、つねにジレンマがつきまとう。一方では、「今日もまた○○を聴きたいな」と素直に思う。しかし、もう一方では、「あんまり○○ばっかりきいていると、いいと思わなくなる日がそれだけ早く来てしまうのではないか」と不安に駆られる。それで、お気に入りの曲を無作為にシャッフルしてみたり、ローテーション組んだりというような努力をして、お気に入り状態を長続きさせようとする。
しかし、ハイドンの場合、ボクは不安に駆られることなく楽しめる。
もし飽きるまであるひとつの作品を聴いていたら、きっと一生のうちに、彼のピアノソナタと四重奏曲と交響曲とをすべて聴き終わることはできない、それぐらいたくさん彼の作品があるからである。