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2008年02月29日

志高き人は、応援せよ

少し前になるが、知り合いの学部生がアメリカの超一流の大学院に合格したという嬉しいニュースを知らせてきた。この学部生はボクのゼミ生ではなかった。また、必ずしもボクの専門分野のことを勉強しているわけでもなかった。しかし、彼の属するゼミの出身で、現在アメリカに留学しているある優秀な先輩が、「どうしても先生の指導を受けさせてやってください」とボクに頼んできたので、特別にこの一年間ボクの院ゼミに出席することを許可したのであった。もちろん、学部生だからといっても、リーディングを読んでくることも発表することも義務付けられていた。もちろん、彼はちゃんとそれらのことを(他の院生とまったく同じに)こなした。そして、実に立派な英語の卒業論文を完成させた。このたびこれ以上望めないようなキャリアアップの道が開かれたのは、本当によかった。おめでとう。
なぜボクがこの学生を特別扱いしたかかというと、彼がとても志高い若者のように思えたからである。ボクはおそらく、彼の先輩が間に入って紹介しなければ、この学生を特別扱することはなかったと思う。しかし、その先輩に可愛がられているということが、すでに彼のひとつの財産であった。その先輩も、きっと彼の志の高さを感じ取ったのにちがいない。そういうのは、自然と伝わるものである。そして、彼のこの一年間を見守り、その評価がけっして誤りでなかったということがよくわかった。
志の高いものは、応援しなくてはならない。
それが、他の人に比べて多少不公平になるような特別扱いをすることになったとしても、である。
なぜかというと、志の高さというのは、ほかの多くを犠牲にすることの上にしか成立しないからである。趣味や遊ぶ時間、あるいは金銭的な問題だけではない。家族とか、友人や恋人とかとの人間付き合いにおいても、志を高く抱いている人は、目に見えないところでさまざまに退路を断って暮らしているのである。だから、そういう人をみると、自然と応援してあげたくなる。そして、そういう人が自分の目標を達成すると、こちらも心が動かされるのである。
話変わって(いや実は変わらないのであるが)、昨日、富士通レッドウェーブが、WJBLのプレーオフで初優勝した。ボクは、ある友人の紹介がきっかけで、数年前からこのチームを応援している。きのう、代々木の体育館で、その劇的な場面を生でみることができて、よかった。
若い彼女たちは、ほかのことすべてを犠牲にして、バスケットボールに打ち込んでいる。このトーナメントで優勝することだけを目標に掲げて、身体もボロボロになるまで、頑張っていたのである。優勝が決まったときの涙は、彼女たちの志の高さをよく物語っていた。
こちらもおめでとう。
そして素晴らしい感動をボクらに与えてくれて、ありがとうございました。

2008年02月15日

ラジオと人生経験の外生性について

この前、昔カリフォルニアで聞いたラジオ局のことを書いたが、つい先日、出張先のカナダでCBCラジオを聞いていたら、次のような話題が語られていた。ウォータールー大学(オンタリオ州)には、学生たちが1970年代からやっている有名なラジオ局がある。このラジオ局は、毎年学生たちが授業料に11ドルを上乗せしていることによって運営されている。この局で働く多くの学生が、その後各地の民間ラジオ局に就職したりするのだそうである。しかし、最近このキャンパスラジオが本当に必要なのか、という議論が起こっている。だいたい、どのくらいのリスナーがいるのかは把握しようがないし、学生たちの利益になる情報ばかりをラジオ局が流しているわけでもない。ipodで音楽やニュースまで聞けるようになっている時代に、キャンパスラジオなんか時代遅れだ、などという極論もある。で、さんざん議論された結果、「レファレンダム」つまりは「全住民(=全学生)投票」をやって、このラジオ局を存続させるかどうかを決めようということになった。レファレンダムをやろうと言い出した学生がスタジオに来ていて、インタヴューに答え、「僕はどちらでもいいんです、とにかく学生たちの意思で決めればいいとおもって」といっていた・・・・。
ボクは、この話を、いくつかの点で興味深く聞いていた。まず、北米では、どこの大学のキャンパスにも、ラジオ局が存在する。そうした局は、結構その地元コミュニティーで、重要な役割を果たしている。このこと自体、とても面白い話である。北米におけるコミュニティーのあり方を、特徴的に物語っている気がする。ひるがえって、東京に一極集中している日本では、大学にひとつずつラジオ局があったら、東京ばかりにキャンパスラジオが多くできちゃって大変なことになる。それから、時代が変わって、こうしたラジオ局がいま存続の危機に立たされているというのも面白い話である。ウォータールーだけでなく、きっといくつかの大学のラジオ局も、似たような状況に追い込まれているのではないか、と思う。そして、レファレンダムをやって決着をつけよう、というのも、非常に面白い。北米では民主主義がよく根付いているなあ、とあらためて思う。日本の大学で、いま全キャンパスを通じてレファレンダムをやろうとしたって、おそらく学生組織も整っていなし、できない。
ボクは、ipodで音楽やニュースまで聞けるようになったから、ラジオは時代遅れになる、という議論には同意できない。ラジオの魅力は何かというと、自分が普段聴かない音楽、あるいは得ようとしているわけではないニュースを、向こうから(勝手に)流してくれるというところにある。つまり、自分にとって情報を収集する過程が、「ひと(ラジオ局)まかせ」になっている、それがラジオのいいところなのである。たしかに、ipodには自分のお気に入りの音楽や自分のお気に入りのpodcastからの情報がはいっている。しかし、そればかり聞いていたのでは、自分の「お気に入り」の範囲が縮小均衡してしまうのではないか。自分が選曲したわけではない音楽が流れきて「いいなこれ」と感動したり、自分が聞きたくもないニュースが流れてきて「なんだこれ」と不思議に思ったりする。そういう(専門用語をつかって申し訳ないが)一種の「外生性」が、われわれの経験を豊かにしてくれるものにほかならないのである。

2008年02月14日

バイキングという食事形式

「バイキング」という食事の形式がある。カッコよくいうと「ビュッフェ」スタイル。ぶっちゃけていうと「食べ放題」スタイル。一定の額を払ったら、食べるだけ食べていいですよ、という形式である。
ホテルに泊まると、朝食がこの形式になっていることが多い。日本では、ある程度の規模のホテルだと、たいてい洋食と和食の両方が用意されている。ところが、どちらのメニューもふんだんにバラエティーに富むのならいいのだが、和食も洋食もと欲張るがゆえに、どちらも品薄な場合がある。オイオイ、どっちかに特化すれば、もっと充実するのに、と思うことも多い。
この前、赤坂のプリンスホテルで食事を取る機会があったのだが、そのとき、たまたまケーキのバイキングをやっているところに遭遇してしまった。噂には聞いていたが、本当にケーキバイキングなるものがこの世の中にはあるのである。そして、噂には聞いていたが、本当にケーキを4つも5つも(あるいは6つも7つも)平気で平らげてしまう女性がこの世の中にはいるのである。あたりを見回すと、全員女性。下は女子高生の4人組ぐらいから、上は結構ご年配の3人組まで。みんな楽しそうに、そして満足そうに、次から次へとケーキを平らげていた。
さて、先週、ゼミの卒業旅行に上越国際へスキーに行った。その夕食は中華のバイキングであった。ウェイターさんがやってきて「ソフトドリンク類は無料でついてきます」と軽くご挨拶を終えると、用意ドン、みな一斉に食べ物の方へむかう。ボクはてっきり個人競技だとおもっていたら、学生たちは団体競技のように役割分担をしていた。大根もちを持ってくる人、春巻きを持ってくる人、シュウマイと小龍包を持ってくる人・・・・。なーるほど、大人数だと、そういう手もあるわけだ。
バイキングという形式の食事は、われわれの脳の活動を活性化する。たとえば、ですね、われわれは食事を取りながらも、必ず頭のどこかで、いったいこのレストランは一人当たりどのくらい食べると見越して、価格設定をしているのだろうか、と考えている。そして、自分の食べている量がそれとどのくらい見合っているか、などと比較している。それから、どの品目からどのような順番で食べたら、もっとも効率的か(←つまりよく元が取れるか)を探っている。出ている品々を見渡して、自分の頭の中で一瞬のうちにメニューを組み立て、それにしたがって自分の選ぶ品目の適量をひとつずつ計算している。
バイキングでは、頭だけでなく、気も使う。本当にこんなにいっぱい食べちゃっていいのだろうか、と周りの目が気になる。逆に、となりのテーブルの人たちはどのくらい食べているか、何を食べているか、などというのも気になる。さらに、自分の皿に少し食べ残しがあってもウェイターさんがちゃんと片付けてくれるだろうか、などと心配になる。それから、自分の好きな品目が品薄になっていると、早く追加をもってこいよ、などとイライラしたりする。
正直いうと、ボクはバイキング形式の食事があんまり好きではない。
食事の時ぐらい、頭も使わず、気も使わず、リラックスして食べたいからである。

2008年02月06日

Falling in love with沖縄

同僚の久米先生を中心としたあるプロジェクトが今年で最終年度をむかえ、沖縄の琉球大学にて、仕上がった論文をみんなで発表し合う研究会が開かれた。
というわけで、ボクも沖縄へ行ってきた。沖縄の地に足を踏み入れるのは、これが初めてである。一言でいうと、何から何まで、本当に素晴らしい沖縄初体験となった。
まず着いた日の夜は、国際通りの公設市場まででかけていって、いくつか魚介類を注文しその場でさばいて貰って食べよう、ということになった。お刺身の盛り合わせのほか、グルクンの唐揚げ、伊勢海老の味噌汁などなど。どれも、文句なく新鮮でおいしい。みんな「おなかいっぱい」と腹をさすっているのだが、ボクはどうしてもご飯ものを食べないと気がすまなくて、ボクだけ「ラフティー丼」を追加注文した。これがとろけるようなやわらかさだった。それで「うまい!うまい!」を連発し、みんなから白い視線を浴びてしまった。
泊まった大学の宿泊施設もよかった。安いし、広いし、綺麗だし・・・。朝食サービスはなかったが、ボクは、歩いて10分ほどのところにモスバーガーがあると聞いていたので、次の日の朝そこへ向かった。そしたらですね、そこでですね、ががーん、遭遇してしまいました・・・。(古今亭志ん生風に)「そうだなあ、歳の頃といったら、十七、八ってところだな・・・」、とっても可愛らしい女性の店員さん。この方の笑顔、ホントか・ん・ぺ・きでした。なんというべきか、「混ざりもののない笑顔」とでもいうのだろうか。いやー、マイリマシタ。うーん、沖縄・・・、いいねえ・・・。
さて、研究会が始まった。ホスト役である宗前先生のホスピタリティーも、これまた実に完璧だった。コーヒー、紅茶、さんぴん茶などは当たり前のようにそろっている。そのほか、「これ、絶対美味しいですから」と持ってきたシークワーサージュース。本当にメチャメチャ美味しかった。あとは、長丁場になることを予期して、数々のチョコレートやキャンディーの類。実際、連日8時間ぐらいぶっ通しで会議をしていたので、これらの甘み成分補給には助けられました。
宗前先生の学生さんたちと一緒に話す機会もとても楽しかった。ぜんぜんスレてなくて、人生に直角に向き合い、すがすがしく生きている。礼儀正しいし、ボクら中年オヤジたちの話しを真摯に聞いている。というか、彼らは、本当にボクら(の話)に興味があるのである。それだけ、心がきれいなのである。
とくに、YさんとKさんには、ちょっとだけ沖縄を案内していただき、お世話になった(Yさん、Kさん、ありがとうございました)。前からどうしても訪ねてみたいと思っていた平和祈念公園を地元の若いお二人に案内していただいたことで、いっそう思い出深い経験となった。石碑に刻まれた白い名前の数々、その先の崖、打ち寄せる波、水平線。その光景は、一生忘れることがないと思う。
その後、ランチに「くるくまの森」の中にあるアジアン・カフェへ連れて行ってもらった。ここのチキンカレーは、絶品です。そして、そこでは、日本人に混じって、多くの外国人観光客が、打ち寄せる波と水平線の素晴らしい眺めを、楽しんでいた。なんとも穏やかな空気が流れていた。