« 2007年02月 | メイン | 2007年04月 »

2007年03月17日

卒業おめでとう 2007

河野ゼミ3期生のみなさん、卒業おめでとう。
来る3月25日の卒業式の式典には、参列できないので、代わりにこの日記で君たちへ贈る言葉を書き残します。

3期生のみなさん、2年間ボクの厳しい指導に耐えて、よく頑張りました。君たちは、それぞれ立派な卒業論文を提出しました。まったくお世辞ではなく、君たちの卒論はどれも、なみなみならぬ「努力」の刻まれた素晴らしい卒論として仕上がったと思う。実をいうと、ボクは、ここまで全員そろって頑張れるとは思っていなかった。でもひとりも落ちこぼれることなく、みんなで一緒にこれて、本当によかった。自分の書いた卒論を誇りに思ってください。この経験は、今後の人生で揺るぎない自信となりますよ。いや、おそらくもうすでに君たちは、そのことを予感できているのではないでしょうか。
また、この2年間、君たちは、合宿や飲み会やスポーツを通じて、互いをさらけ出しあい、感性を磨きあい、おもいやりや気遣いを学んだのではないかと思います。時に気持ちのすれ違うことがあっても、そうした場面をどううまく乗り切るかということも、すこしずつではあるが、習得できたと思う。君たちは、もうどこに出してもけっして恥ずかしくない人間として成長した。そのことに自信をもち、あとは、ボクなんかが教えることのできないことを、ひとつずつ吸収していって、さらにさらに大きくなっていってください。
そうそう、忘れてはいけない。ボクも、君たちに囲まれて過ごした2年間、本当にとても楽しい思いをさせてもらいました。君たちからは、いつも若いエネルギーを吸収させてもらった。君たちと接していると、好奇心が刺激され、歳をとってもいろいろなことに心をときめかせることを忘れてはならないのだと教えられた。ボクの人生を豊かにしてくれて、本当にありがとう。
君たちの中には、ボクが早稲田に赴任した最初の年に一年生として授業を受けた人もいますね。そういう人とは、すでに人生の4年間を付き合ったことになるわけだね。しかし、まだまだこれから・・・。これはほんの「始まり」にすぎない。みなさん、どうかこれからも末永く、よろしくお願いします。

卒業にあたって、今年は以下の言葉を贈ることにしました。

いつでも夢をもちなさい。
いつでも純粋に、真剣に、堂々と生きなさい。
いつでも不思議に思い、考え、解決しようとしなさい。
たとえ心を奪われることがあっても、魂を渡すことのないようにしなさい。

河野ゼミ3期生に、乾杯! 

2007年03月15日

不自由を選択することの自由

ニューヨークのホテルからJFK空港まで、タクシーで行った。JFKから市内までは、均一料金で45ドルだが、その逆は必ずしもそうと決まっているわけではない。しかし、この運転手さんは、フラットにしてくれた。
人のよい、フレンドリーな運転手さんだった。
彼は、バングラデシュからの移民だった。
5年ほど前にアメリカに来て、帰化したのだそうである。「今度国へ帰るんだよ」と、嬉しそうにいう。こちらで結婚し子供ができたので、家族を連れて故郷へ帰り、両親に見せたいのだそうである。お父様が最近心臓の手術を受けられて、ここのところずっと心配しているのだ、ともいう。
いうまでもなく、タクシーの運転手としての稼ぎは、それほど大きくはない。
しかし、彼はいう。「子供二人連れてバングラデシュまで行ったら、とっても高くつくのはわかってる。帰ってきたら、破産みたいなもんだよ。でも、金は問題じゃない。金なんか後からどうにでもなる。でもオヤジが子供たちに会えるのは、今しかないかもしれない。そうだろ?」
「その通り。」
ボクは、このような考え方が大好きである。
そして、ボク自身、同じような生き方をしているように思うので、とっても共感した。
では、このような考え方、生き方とは、どういうものか。
それは、不自由を選択することの自由を大切にする、ということである。
・・・などというと、ちょっとコムズカシイので、もうすこしわかりやすくいうと、ですね・・・
現代人は、いつでもさまざまな選択肢を持って生きているわけですね。何を食べようか、何を着ようか、この人とデートしようか、あの会社に就職しようか、などなど。しかし、ボクには、それと同時に、人には、(このタクシーの運転手さんのように)その時々でやらなければならないことが与えられているようにも思えるのであります。
で、これは、倫理の問題とか道徳の問題とかではない。ここにあるのは、究極的には「いかにして自分が幸せでいられるか」という個人の(もっといえば個人主義的な)判断ではないか、と思う。
たとえば、この運転手さんは、今故郷に帰らないと決断した場合の、その後の自分の人生が(たとえ金に困らないでいられるとしても)どれくらい不幸せなものになるのかを、よくわかっているのである。だからこそ、たとえお金に困るという「不自由」が生じるとしても、それを自らよろこんで引き受けようとしているのである。今、故郷に帰れば、子供たちとお祖父さんとが会えたという記憶が残る。そしてその記憶は、当然、子供たちにもずっと長く残ることになるのである。
こうした考えは、幸せなるものを刹那、刹那に捉える限りでは、生まれてこない。しかし、ボクにいわせれば、幸せとは、時間を超えて、今日だけでなく10年先、20年先のことをも考えた上で、自分に与えられている最良の選択肢を選びとることに他ならないのである。

2007年03月10日

ローマの休日の共有知識

ニューヨークまでの飛行機の中で、「ローマの休日」を見た。
いうまでもなく、オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックが共演する古典的名作である。もう、何度見ても面白い。そして、もう何度見ても(オードリー・ヘップバーンが)可愛い。なんというか、ため息が出てしまうほど、可愛い。
彼女はこの映画でデヴューした。だから、最初の出演者の字幕のところで、「introducing Audrey Hepburn」と出る。ま、結構知られた話だが、最初、大俳優のグレゴリー・ペックは、自分主演の映画だと思って、この映画を作り始めた。ところが、撮っているうちに、これは大変な新人と共演しているのだと気づいた。それで、宣伝用のポスターの題字の大きさを、二人とも同じにしてくれと、彼から頼んだ、のだそうである。
この映画の最後のシーンは、一日中楽しいデートをしたものの大使館に戻らなければならず悲しいサヨナラをした翌朝に、ヘップバーン扮する王女さまが、大勢の記者たちと面会するシーンである。彼女はその中に、思いもかけず、ペック扮するアメリカ人記者が立っているのを発見する。いうまでもなく、この映画の最大のキモがここにある。なぜここがキモかというと、この場面は(ちょっと学術的用語を使ってしまって申し訳ないが)二人の間で「共有知識」がはじめて成立する場面だからである。
つまり、彼は、彼女が本当は王女であるということを知って(それを特ダネにしようという下心をもって)、前日デートをしていた。しかし、その段階では、彼女は彼が記者であるということは知らない。もちろん彼は、彼女が知らないということも知った上でデートしていたのである(←この辺に「やっぱりこの映画、ジェンダーバイアスがかかっているわよね」という批判が成立しそうであるが、ちょっとそれはおいておく)。で、この最後のシーンがキモであるのは、彼女が「ああ、そういうことだったの」と、状況をいまはじめて正しく理解したということを、表情ひとつでみせなければならないからである。このシーンにおけるオードリー・ヘップバーンの(表情ひとつだけの)演技で、この映画が素晴らしいものになるかそうでないかが決定する。そして、それが本当に素晴らしいので、われわれはこの映画を何度も何度も見ようという気になるのである。
もちろん、グレゴリー・ペックの方も負けていない。なぜかというと、この場面で、彼は、彼女がすべてを理解したんだということを理解したことを、こちらも表情ひとつでみせなければならないからである。そう、共有知識というのは、両方が知っているというだけでは成立しない。二人とも知っており、二人とも相手が知っているということを知っており、二人とも相手が相手が知っているということを知っているということを知っており・・・・(無限に続く)・・・という状況でなければならないのである。
ところで、いうまでもないが、ここにはもうひとつの共有知識がある。
それは、この映画を見ているわれわれ観客は、前日まで彼は知っているが彼女は知らない、そしてこの場面で初めて彼も彼女も知るようになるんだ、ということをすべて知っているということである。
映画の面白さは、登場人物のあいだで成立している(あるいは成立していない)共有知識と、観客のあいだで成立している共有知識のズレにあるといえるのである。

2007年03月03日

「雲と愛と人生と」の話

この表題を見ただけで、ピンと来る人はすごい。これは、ジョニ・ミッチェルの名曲のひとつ、Both Sides Nowという唄の中に出てくる、いわば三大話である。
ジョニ・ミッチェルは、あんまり日本ではメジャーではないような気がするが、ボクは大好きである。唄だけでなく、あの人の生きざまも大~~~好きである。
ところが、最近ゼミ生たちに「ジョニ・ミッチェル知ってるか」ときくと、たいてい知らないという答えが帰ってくる。とても悲しい。
ただ、このBoth Sides Nowだったら、最近でもテレビのコマーシャルに使われているので、聴けば「あああの曲ね」という方も、結構多いのではないかと思う。
さて、この唄には、日本語では「青春の光と影」というタイトルがついている。
誰がつけたのか知らないが、ボクはこれは変なというか、困った訳だなと思っている。
まず、日本語の「青春」に相当する言葉は、英語には存在しない。
それから、「青春の光と影」というのは、重いというか、濃すぎる。このタイトルだけが一人歩きして、素晴らしい唄がすっ飛んでしまう。なんとももったいない。
そして、もっとも致命的なのは、「青春の光と影」などというと、大人が自分の若い頃を振り返っているというような感じがすることである。あるいは、斜に構えた傍観者が、誰か他人の人生を観察して、あなたの人生にも光と影があったわね、いい時も悪い時も両方あったわね、まあ人生なんてそんなもんよ、などと達観し、偉そうに語っている感じがつきまとってしまうことである。
これは、本当に困る。
なぜかというと、この唄の中でジョニ・ミッチェルが伝えたいのは、こうしたイメージとはまったく逆のメッセージだからである。
つまり・・・・
自分は、空に浮かぶ雲をみても、ひとつの見方じゃないんだということを思い知らされた。
いろいろな恋愛を経験して、愛するとか愛されるとかいうことが何なのかわからなくなった。
ましてや、人生なんて、自分でどう考えていいのか、いまだにこれっぽっちも見当がつかない。
・・・
だから、「達観」とか「傍観」とか「偉そうに」というイメージとは正反対に、この唄は、成長したところで絶対に消えてなくなることのない、人間の根本的な迷いとか疑いについて、語っている唄なのである。嘘だと思うのなら、一度じっくり、彼女の歌詞を英語で読み、彼女の奥行きある歌声を聴いてみるといいと思う。そのメッセージは、心に沁みわたるように、伝わると思う
では、ボクだったら、この唄に日本語のタイトルをつけるとき、なんとつけるか。ボクだったら、きっと、このブログの表題のように「雲と愛と人生と」とする。その方がずっと自然でシンプルで、唄の内容にそのまま即している。
ちなみに、この唄はいろいろな人の持ち歌になっているが、是非彼女自身がオーケストラをバックに歌っているバージョンを聴いてみてください。