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2013年02月23日

兎と亀の政治学的会話:安倍・オバマ会談

兎:いやー、早かったね。
亀:早かったって、日程が駆け足だってことかい?それとも、会談が短かったってこと?
兎:いやいや、ホワイトハウスが、二人の会見の模様をホームページにアップするのが、だよ。こういうホームページの作り方やPRでは、日本の官邸はまったく太刀打ちできてないな、アメリカに。それに、アップされていたのは、二人の肉声の入った、生のビデオ付きだった(http://www.whitehouse.gov/photos-and-video/video/2013/02/22/president-obamas-bilateral-meeting-prime-minister-abe-japan)
亀:見たよ、そのビデオ。今日、早稲田のちょいわるオヤジさんが、コンパスに出演するというので、一緒に見ていたんだ。
兎:内容、結構面白かったね。
亀:実に、いろいろな面で、面白かった。まず、あのランチ前という時間に、ああしたカジュアルで、記者たちがあまりしつこく質問できないようなブリーフィングの場を選んだこと。
兎:オバマさんにされた最初の質問は、日本に関係のない国内政治についてだったよね。
亀:あれは、NBCのサヴァナ・ガスリーの声だったようだが、オバマさんはああいう場では、アメリカの記者は遠慮せず国内問題について質問するということを織り込み済みでいたわけだ。だから、ああいう場にセットしたというのは、長い間二人がそろって質問を受けたくなかった、ということだろうな。
兎:ところで、最初にしゃべったオバマさんはTPPのことは一言もいわず、ごくあいまいな「経済」のこと、という言い方しかしなかったね。経済については、「これから」、つまり「この後ランチの場で話すことになっている」といって、TPPについて質問が来させないように仕組んでいた。
亀:そうそう。それで日米同盟の強化と北朝鮮が前面に押し出されていた。しかし、今回の訪米の目玉が、あくまでTPPだってことは、アメリカ側政府内の日本デスクでは常識だった。
兎:でも、安倍さんにしてみれば、TPPで「聖域あり」を認めさせたのは、成果だったといえるのではないかね。
亀:そうかもしれない。しかし、あの共同声明の英語版と日本語版を読み比べたかい?やっぱり若干ニュアンスがちがうように思えるよ。あのunilaterallyという言葉がどこにかかるかなんだが、法律家とか、読む人が読めば、どちらにも顔の立つ文書になってるんじゃないかな。
兎:それより重要なのは、共同声明を出したあとで、二人が共同記者会見をしないですむスケジュールを組んだことの方だね。
亀:共同声明はギリギリのワーディングだったので、日米両国とも、この共同声明の解釈について、あらためていろいろ質問されることを避けたかったのだろうね。
兎:ところで、このブリーフィングでは、二人の発言に中国という言葉が一回も登場しなかった。
亀:その通り。日本人の記者が質問するまでは、ね。しかし、それに答えるときも、安倍さんは、言葉を選んで、けっして中国を刺激しないような言い方をしていた。尖閣だけに言及するのではなく、尖閣と南シナ海とをならべて言及することで、尖閣問題だけが特別に重要な問題であるというメッセージを出さないように、意図されていたことは明白だった。
兎:安倍さんにしてみれば、今回の訪問を通じて、オバマさんにじきじきに、安保条約の適用範囲であることをいって欲しかったのではないか、という説も成り立つよね。
亀:もしそうだとすると、安倍さんは、明らかにそう説得するのに失敗した、ということになるね。しかし、どうかな。クリントン国務長官、そしてパネッタ国防長官がそろってすでにその主旨の発言を明確にし、中国もよくそれをわかっているので、オバマさんがあらためて言及することは、むしろ必要以上に中国を刺激することになる。
兎:安倍さん自身が、そういう判断に傾いた、ということ?
亀:そう見ることもできるよね。
兎:しかし、いずれにしても、この会見で中国のことがまったく言及されなかったというメッセージが、いま中国に送られたわけだね。
亀:そう。そして、このメッセージの送り方が、日米のあいだで、きわめてよく練られたもの、絶対にこの会見を通じて中国を刺激することがあってはならないんだという意図に基づいて行われたことも、明確だった。その意味では、日米の協調のレベルの高さを見せつけるものになっていたと思うから、中国にとっては、かえって不気味に思えたんじゃないかな。

2013年02月20日

O君とHさんの結婚式でのスピーチ

河野勝です。よろしくお願いします。
学者というのは、人前で話をする職業なんですが、私は、結婚式でのスピーチだけは、大の苦手でありまして。
というのは、ですね、結婚式のスピーチには、言ってはいけない言葉、「忌み言葉」っていうのがあるわけですね。別れるとか、失敗するとか。しかし、どうも学者というのは、いつでもどこでも自由でいたい、なんかこう「○○をしてはいけない」という制約を押し付けられるのを嫌う習性があるんです。ま、とことん勝手な身分商売でして、そういうわけで、結婚式のスピーチは、正直なところ、苦手なんです。
しかし、今日はスピーチしないわけにはいかない。なぜかというと、さきほどからご紹介にある通り、O君とHさんは、どちらも、私のゼミの出身だからです。この式が始まる前、受付していただくときに、私、新郎側で受付するのか、新婦側で受付するのか、迷ってしまいました。ゼミ生同士のカップルが結婚するというのは、私にとっては、これが初めての経験でありまして、そういう意味では、お二人にはおめでたい先例をつくって頂いて、大変嬉しく思っております。
とはいっても、実は、私は、この二人が一緒になることに、なんの功績も責任もありません。なにしろ、私はこの二人が付き合っているというのを、最後の最後まで、知らされてなかったんです。その報告を受けたとき、私は、ほんと、椅子から転げ落ちそうになるくらい、驚きました。そして、自分だけが知らされてなくて、あとのゼミ生全員がずっと前から知っていたとききまして、ちょっとイラっときました。もう、それ以来ですね、この二人が卒業してから数年が立つわけですが、もうそれ以来ずっと、彼らに会うたびに、「君たち、よくもオレにだまってたよな」と、ウジウジと文句をずーっと言い続けているわけなのであります。
どうやら、このことは、後代のゼミ生たちに伝わったらしく、この二人のせいで、いまでは河野ゼミには「家訓」ならぬ「ゼミ訓」というのができあがってるようです。つまり、ゼミ内恋愛をするときは、うまくタイミングを見計らって、ちゃんと先生に報告しなければならない、というように。
ま、このようにして、お二人には、ほんとおめでたい、「よい先例」をつくっていただいたわけですが、私としては、これが「悪い先例」にならないように、願っているわけであります。いいですか、ここから先は、あの忌み言葉の部分ですよ、よろしいですね。つまりですね、もしお二人が悪い先例になってしまったら、私はどちらの味方をするわけにもいかないわけです。ゼミのOB会も、もの凄く気まずい雰囲気になってしまうんです。困るんです。ですから、どうか、どうか、末永く、お幸せに、よい家庭をつくっていってください。
最後に、ひとつだけ偉そうなことを申し上げます。いまお二人は、まだ26歳、27歳とお若いですが、これからすぐに、人を指導する立場、人の上に立つ立場になります。ですから、これからは常日頃から、自分が社会の中でどのような位置に置かれているのか、社会というと大袈裟かもしれませんが、まわりの人々の中で何を期待されているのか、そういうことを考えながら行動していってほしいと思います。それを心がけることで、自分が自信をもてる部分、人に譲るべき部分というのが見えてくるようになると思います。そのようにして、お二人の関係もうまくいくようになるのではないでしょうか。どうか、そのようにして、これから30代、40代と成長していくなか、くれぐれも幸せな家庭を築いていってください。
本日は、ほんとうに、おめでとうございました。

2013年02月17日

リアリストの独り言

今日の日米関係を考える上での大前提は、日本とアメリカは、これまで保たれてきた東アジアの安定から多大な恩恵を受けてきたこと、そして今後もそのような安定が維持されることにおいて利害を共有している、という認識である。この意味で、日米両国はこの地域の秩序について「現状維持」を好むプレイヤーである。これに対して、今の秩序が変わった方がよいと考える「挑戦国」プレイヤーとして、中国が台頭しているという根本的な構図がある。

ちなみに、北朝鮮もこれまでずっと現状維持プレイヤーであり、それはその最大の目的が(公的に掲げられている南北統一ではなく)自国の体制維持におかれているからである。核実験を繰り返すようになった北朝鮮はいまや挑戦国になったのではないかという解釈も成り立たつが、体制存続が未だに北朝鮮にとってもっとも重要な目標であることに、基本的に変わりはない。

韓国が、すくなくとも日本との関係において、現状維持ではなく現状を変える方向に舵を切ったこと、そしてその理由が韓国における民主主義の成熟であることは、浅羽祐樹氏や木村幹氏らがいう通りである(『徹底検証韓国論の通説・俗説』)。

リアリズムは、理想主義と真っ向から対立し、基本的に保守的バイアスを持つことはいうまでもない。しかし、それは保守主義と同義であるわけでも、けっしてない。だから、リアリズムは、たとえば日本が核武装をすべきでないと頭ごなしに主張する理想主義を排する一方で、北方領土の4島一括返還の可能性について正しく判断することができなければならない。

「理想主義的リアリスト」なるものは、定義矛盾であるから、そもそも存在しない。むずかしいのは、保守主義とリアリズムとのバランスを取ること、保守主義的価値を標榜しながらリアリストであり続けることの方である。

リアリズムは、尖閣というひとつの小さな島をめぐり、日本と中国が戦争を起こすことは馬鹿げていると考える。一方、いまここで中国の挑発的な行動にきちんと対峙しておかないと、いずれは沖縄や奄美に対しても中国は領土的支配を目指すのではないかと想定するのも、リアリズムである。問題は、この二つの(正しい)論点を結んでくれるような壮大なリアリズムの構想が、いまの日本に欠落しているという点にある。

2013年02月04日

つつしんでご冥福をお祈りします

ボクの大好きだった市川団十郎さんが亡くなった。
悲しいのひとことです。ご冥福をお祈りします。
(以下はもうずっと前のブログの再録です)

市川団十郎

ついこの間、ボクの誕生日だったのだけれど、その時、ある方から、歌舞伎のDVDをプレゼントして頂いた。市川団十郎の「勧進帳」。もちろん団十郎は弁慶。富樫が中村富十郎、義経は尾上菊五郎という配役。

ボクは歌舞伎が大好きで、特に「勧進帳」を東京で演っているときは、必ず見に行くようにしている。しかも、現在活躍している役者の中では、団十郎さんの大ファン。このDVDをプレゼントしてくれた方は、ちゃんとそれを知っていて、選んでくれたのだ。あらためて、感謝、感謝。

さて、この団十郎さん、本当にすごい、と思う。ボクは、団十郎を襲名する前の市川海老蔵の時代も何度も観ていたのだけれど、ま、はっきりいって、その頃はあんまり好きではなかった。独特の声をしていて、それが耳について仕方なかった。ところが、団十郎を襲名した頃から、だんだん変わってきた。それまでは、耳について仕方なかったのに、しだいに、あの声を聞きたい、と思うようになったのだ。その上、いつのまにか、尋常ではないオーラが団十郎さんから出始めた。団十郎さんは、けっして背が高い役者ではない。しかし、見栄をきったり、にらんだりするときのスケールの大きさには、他の追随を許さないものをもっている。で、ボクは、ついに、あの声をきかないと歌舞伎を観た気がしない、団十郎さんが出てないと歌舞伎じゃない、とまで思うようになってきたのだから不思議なものだ。

もちろん、大名跡を継いで、団十郎さんが血のにじむように、精進に励んだことはいうまでもないだろう。日々稽古に稽古を重ねて、歌舞伎役者としての芸を極めていったのにちがいない。しかし、ボクには、どうもそれだけではない、というか、どうも逆ではないかと思えてならない。つまり、団十郎さんが歌舞伎を極めたのではなくて、(うーん、うまくいえないけど)歌舞伎が団十郎さんに近づいていったのではないか、歌舞伎の方が団十郎さんに引き寄せられ、飲み込まれてしまい、歌舞伎なるものが団十郎さんを軸にして新たに再構成されてしまったのではないか、そんな気がするのである。

なぜ、そんなことが起こりうるのか。そんなことがもし起こりうるとすれば、それはもう、芸とか技とかではなくて、魂の仕業でしかないに決まっている。いまの団十郎さんは、その点においては、本当に本当に稀有な役者さんなのではないか、と思う。魂のこもった振舞いは、人を動かし、何百年という伝統にでさえ新たな命を吹き込むことができる。一生のうち、一度でいいから、自分も、そんな仕事をしてみたいものだ。