兎と亀の政治学的会話(解散・衆院選③):この選挙をどう考えるか
兎:2005年の郵政民営化、2009年の政権交代とくらべると、今回は焦点が定まらない選挙になりそうだね。
亀:その意味では、今回の選挙はごく普通の選挙って感じがするな。だいたい1つの争点や政権の枠組みそのものが、選挙のすべてを特徴づけちゃうっていう方が、めずらしいことなんだから。
兎:ただ、今回、多くの有権者は「民主党だけには勝たせたくない」、あるいは「民主党には絶対にお灸を据えてやるんだ」みたいに見えるよね。それは、前回と同じに、政権の枠組みについての選択が、他をしのぐ圧倒的なアジェンダになった、とみなせるんじゃないか。
亀:うーん、やっぱり、ビミョウにちがうんじゃないかな。たしかに今回の選挙は、民主党のこの3年半の業績を評価する選挙ではある。とすると、有権者は、いってみれば、過去を振り返るretrospective投票をしているわけで、その上にそれはネガティヴな方向性をもった行動だよね。しかし、前回の2009年の選挙では、多くの有権者は「政権交代」を積極的に選んだ。将来志向のprospective投票だったんだよ。そこが違うような気がする。
兎:じゃあ、君は、今回自民党が勝っても、それは有権者の積極的な支持ではなく、他に選択肢がない中の消極的な支持を表しているだけだ、といいたいのかね?
亀:もちろんそんな断定は、簡単にできるわけないさ。ただね、前回と比べて投票率が伸び悩むなんてことがあったりすると、そういう解釈の説得力が増すんじゃないかな。
兎:今回の選挙について、2000年代を通じて確立しつつあった二大政党制の一角が崩れ、第三極が割って入るという意味では、日本の政治のひとつの転換点である、という見方をする人もいるけど、そういう解釈についてはどう思うかね。
亀:むずかしいところだ。第三極、とりわけ維新の会の方が、いかに近畿地方というひとつの地域を超えて、全国まんべんなく議席を獲得できるかどうか、にかかっているんじゃないかな。
兎:小選挙区制のもとでも第三政党がある地域に限定して残るということは、十分論理的に起こることだよね。
亀:そうそう。大事なポイントだが、それについては、早稲田のちょいわるオヤジさんが、たしかカナダのケベック州を題材にして、『制度』という本の中で解説している。
兎:しかし、だよ、もし維新の会が40とか50とかの議席を取ったとするよね。すると、たとえそれが一部の地域に偏った勢力分布であったとしても、維新の会としては、やっぱり自分たちは「第三極」づくりに成功した、と訴えるのではないかな。
亀:そうだろうね。そういう意味でも、やっぱりつくづく、今回の選挙は、前2回と異なる、ふつうの選挙になると思うね。
兎:うん?どういうことだい?
亀:つまり、だね、ボクのいいたいのは、今回の選挙は、選挙が終わって結果が判明したあとも、その結果をどう解釈するかということについて、論争の余地が大きく残る、そういう選挙なんじゃないか、ということ。2005年も2009年も、選挙で誰が勝ったのか、どの党が有権者からマンデートを得たのか、ということは、ま、疑いようがなくはっきりしてたよね。しかし、今回は、たとえば自民党がたとえ圧勝したとしても、さっきいったように、いやそれが自民党に対する積極的な支持を反映していたわけじゃないんだ、というような異なる解釈が成立してしまうのではないかな。
兎:なるほど。同様に、選挙の結果、維新が40−50議席とったとしても、それがどういう意義をもった事態なのかは、自明ではない、ということだね。
亀:そう。自公民で過半数とったら消費増税が信任されたという人もでてくるだろう。自民党が勝ったらTPPや反原発は支持されていないという解釈を取るひとも出てくる。逆に民主党が70ぐらいに議席を減らしても、いややっぱり二大政党制は維持されたじゃないか、という人もでてくる。しかし、これらひとつひとつの解釈と、それぞれ反対の立場の解釈も成り立つ。
兎:どのような結果になろうとも、各勢力はおのずと自分に都合のよい解釈ができる、そんな選挙じゃないか、ということだね。
亀:そういう意味では、今回の選挙は、後味の悪い選挙、結局なんだったのこの選挙という感じの選挙になるんじゃないかな。