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2010年04月24日

新党ブームと「政治のイロハ」について

いまの日本国憲法には、政党についての言及がない。
これは、正しいことである。
なぜなら、政党とは、少なくとも民主主義の政治体制のもとでは、本来、政治的な理念を共有する人々が自発的に集まって、いってみれば「下からわき上がって」できてくるべきものだからである。
だから、日本の憲法は、むしろ、集会や結社の自由を保障している。どのような政党を作ろうとも、それは国民におまかせします、妨げるものはありません、といっているのである。逆に、もし憲法が、「こういう政党しか作っちゃいけません」などということを規定していたとすると、それは民主主義ではなく全体主義体制の憲法だということになる。
ここまでは、「政治のイロハ」である。
さて、先日から、いろいろな新党が立ち上がっている。どれを見ても、今度の参議院選や次の衆議院選で過半数を目指そうというような大きな政党ではない。せいぜい、過半数を握る政党がない状況が生まれたら、そこでキャスティングヴォートを握ることを目指している政党にしか思えない。いってみれば、彼らを結びつけているのは、「キャスティングヴォートを握りたい」という目的のようである。しかし、それも、理念といえば理念といえなくもない。あるいは、なかには、自分たちはキャスティングヴォート狙いなどという姑息な目的ではなく、将来の政界再編の起爆剤となりたい、と真剣に考えて新党に参加している人々もいるかもしれない。もしそうなら、それはそれで、非の打ち所のない立派な理念である。
だから、ボクは、こうした新党結成を、「理念がないから」とか、「目先の目的に流されて」とか、「数合わせのためだけに」などと批判するつもりはない。憲法は、集会・結社の自由を保障している。だから、こうした新しい政党も、堂々と、自分たちの主張を訴えていけばよいと思う。
しかし、である。昨日、ニュース番組を見ていたら、今度できたばかりの新党の代表になった方が、インタヴューの中でとんでもない理屈をこねていたのには辟易してしまった。この方は、自分が既成の小政党にすり寄る形で新しい政党を作ったことに対する批判に答えて、そのように変則的に新党を発足させたのは「政党になるための要件として、国会議員の5人が必要だ」からであるといい、それは「政治のイロハ」であり、あたかもその要件について知らないで批判している人たちは、勉強不足だとでもいいたそうな、上から目線的ものの言い方をしていたのである。
この見識は、とんでもない間違いである。議員5人という要件は、政党助成法という特定の法律の中で定義された政党のこと(もっといえばその法律に基づいて助成金をもらうための政党のこと)であって、民主主義国家日本において、政党をつくるのにそのような要件があるわけではない。繰り返すが、政党とは本来、政治的な理念を共有する人々が自発的に集まって「下からわき上がって」できてくるべきものだから、である。
この方、驚くべきことに、むかし政治学の先生であったらしいのであるが、もういちど、本当の「政治のイロハ」を学び直した方がいいのではないか、と思うのである。

2010年04月11日

オーストラリアでの困難

かの田中愛治大先生の代役で、オーストラリアのブリスベンに行ってきた。ボクにとっては、生まれて初めてのオーストラリア体験である。ところが、これが、どたばたとヒヤヒヤの連続となった。
ま、正直言って、ちょっと高を括っていたところがあった。オーストラリアは先進国だし英語も通じるしね、とか。ほらよく言うじゃない、オーストラリアって、日本と時差がないから、行くのが結構楽だってね、とか。どこか勝手に自分で自分を納得させていたのである。心に油断とスキがあったのである。
そこに、しっぺ返しがきた。
生まれて初めて訪れる外国なので、もっとちゃんと用意周到勉強し、敬意を払うべきだった。
まずは、そもそも成田空港でのこと。チェックインしようと思ったら、JALのカウンターの女性に「ビザをお持ちでないようなので、チェックインできません」といわれてしまった。ビザ?オーストラリアに行くのにビザがいるのか?いるんですねー、これが。知らなかった。もう、ボクは顔面真っ青、頭真っ白。「どうしよう。せっかく3日3晩頑張って論文仕上げたのに…、ああ、田中先生になんて言い訳しよう…」。いろいろなことが脳裏を駆け巡った。と、そのとき、カウンターの方がいう、「あの、あちらのJTBさんで、まずビザを取得してきてください。まだお席に余裕はありますから、大丈夫です」。
はーん?
そうか。ビザって、別に、大使館や領事館に行って申請するわけじゃないんだ。急いでJTBにいくと、そこでは丁寧に対応してくれた。お値段は3000円少々。事前に知っていれば、自分でオンラインで申請できるビザなのである。なあーんだよ。それじゃ、ここにネットにつながっているパソコンがあれば自分でできたんじゃないかよ。3000円なんて、ちょっと高いじゃんかよ。なんでJALは「お向かいのJTBさんで、どうぞ」なんて、特定の旅行会社を名指しできるんだよ。やっぱりこの二つの老舗会社は、裏で結託してんじゃないのかよ…。などなど、いろいろいいたいことが即座に頭をよぎったが、それらをぐっとこらえ、ボクはあわててJALのカウンターに戻り、搭乗手続きをすませて、一目散にゲートに走って行ったのであった。
さて、そんなハプニングのせいで、ボクは第二のミスを犯した。オーストラリアドルに換金することを、まったく失念していたのである。それに気づいたのは、飛行機の中であった。しまった。ブリスベンに着くのは、朝の7時半だぞ。両替はまだ空いてないかもしれないぞ。しかも、ボクはホテルまでタクシーで行かなければならないぞ。クレジットカードが使えず、現金オンリーの可能性もあるぞ。あーあ、しまった。
しかし、ブリスベン空港につくと、幸いなことに、ボクのキャッシュカードが使えるATMがあった。そこでとりあえず100ドルをおろす。ついでにタクシーに乗り込むときにも、念のため「クレジットカード使えますか」と聞く。すると、なんのことはない、クレジットカードも使えるとのことだった。なあーんだよ、ぜんぜん、大丈夫じゃんかよ。別に心配することなんか、なかったじゃんかよ…。
ひと安心していると、タクシーの運転手がしきりに話しかけてくる。
「……ダアイ?……ドェイ……ダァ……デェイ?」

わからん。なにをいってんの、この人?ここ、英語しゃべる国じゃなかったっけ?
なんども聞き返してようやくわかってきたのだが、どうやら「こっちにいるあいだに、オージー・ルールズという、オーストラリアのフットボールがあるから、それを見に行け」と薦めてるらしい。それでボクは思わずきいてしまった、「ホワット、イズ、オージー・ルールズ?」。
これが、第三の失敗だった。
その運転手は、驚いた、というか、どうもプライドが傷つけられたようだった。
お前、オージー・ルールズを知らないのか、それも知らないで、よくもこの国を訪れているな、というような雰囲気がタクシーの中に充満した。ボクは話題をそらそうと、オーストラリアはサッカー強いよね、ほら、あのヒッピーみたいな髪型した、背の高い、ケネディーっているでしょ、あれいま、日本でプレイしているんだよ、とか、いってみたが、「ケネディって知らない」と一蹴されてしまった。
それでも、なんとかホテルまで着いた。支払ったのは50ドル。しかし、あとから分かったのだが、やっぱり吹っかけられていた。空港からは30ドルぐらいで着くはずなのだそうである。あーあ…、ま、しょうがないかな。オージー・ルールも知らなかったんだしな。もっと、ちゃんと勉強してくるべきだったな。敬意を払うべきだったな…。
さて、ホテルの部屋に案内されて、もうひとつ、ボクはミスを犯していたことに気づいた。オーストラリアでは、電源ソケットの形がまったく違うのである。これじゃ、パソコン使えないし、ヒゲも剃れない。それで、ホテルのフロントに電話して、変換器具を届けてもらうことになった。「18ドルです。お部屋につけておきますか?」
正直言って、今回、ボクはオーストラリアやブリスベンについてのガイドブックを一冊ももたずに、飛行機に飛び乗ったのであった。というわけで、事前の準備不足に、見事に祟られたオーストラリア初体験となったのであった。

2010年04月01日

卒業おめでとう 2010

河野ゼミ6期生のみなさん、卒業おめでとう。
君たちがゼミに入ってきた頃、ボクはちょうどサバティカルをスタートし、この2年間、ボクの学生との接点はほとんど君たちに限られていました。そんななか、君たちに会いに、月曜日に大学に向かうことが楽しくて、ボクの生活に大事なリズムを作ってくれました。飲み会、合宿、旅行など、とても多くの想い出もできました。君たちのおかげで、この2年間、ボクの人生が豊かなものになりました。本当にありがとう。
このブログを読む時は、君たちはすでに新しい生活をはじめているでしょう。追いコンの時にいったように、あまり過去を振り返ってはいけません。過去を振り返り、大学時代はよかった、ゼミは楽しかった、などと考えるのは、今を十分に生きていないからです。これから、君たちは、大学までとは違う魅力ある人々に出会い、この世界に生まれる多くの人が想像もできないような恵まれた環境で仕事をする機会を得て、自分が生きていることの素晴らしさを感じ、幸福を追求できるのです。広く自分の心を開いて、いろいろなことを受け止め、大きく育っていってください。
先日、トーマス・ジェファソンのゆかりの地、Monticelloを訪れた時、ガイドの人が面白いことを語っていました。ジェファソンが大統領になった頃、センサス、日本でいうところの国勢調査が行われました。ジェファソンのところにも係りの人がやってきて、職業は、と尋ねました。すると、彼は「大統領」でも「政治家」でもなく、farmer、つまり農民と答えたのだそうです。もちろん、彼は独立宣言の起草をはじめ、多くの自分が成し遂げてきた業績を誇りに思っていました。しかし、彼は、できることなら、美しいMonticelloに引きこもって、農作業にいそしみたかったのだ、と伝えられています。
大きな富を得ても、さまざまな業績を積み重ねても、人のうらやむようなパートナーと結婚することができても、自分なるものが揺らぐことはないのです。いや、揺るがない自分があるからこそ、人は人生に成功するのです。

卒業にあたって、今年はジェファソンの以下の言葉を贈ることにします。

In matters of style, swim with the current; in matters of principle, stand like a rock. (Thomas Jefferson)

卒業に、そしてこれからの幸せな人生に、乾杯!