新党ブームと「政治のイロハ」について
いまの日本国憲法には、政党についての言及がない。
これは、正しいことである。
なぜなら、政党とは、少なくとも民主主義の政治体制のもとでは、本来、政治的な理念を共有する人々が自発的に集まって、いってみれば「下からわき上がって」できてくるべきものだからである。
だから、日本の憲法は、むしろ、集会や結社の自由を保障している。どのような政党を作ろうとも、それは国民におまかせします、妨げるものはありません、といっているのである。逆に、もし憲法が、「こういう政党しか作っちゃいけません」などということを規定していたとすると、それは民主主義ではなく全体主義体制の憲法だということになる。
ここまでは、「政治のイロハ」である。
さて、先日から、いろいろな新党が立ち上がっている。どれを見ても、今度の参議院選や次の衆議院選で過半数を目指そうというような大きな政党ではない。せいぜい、過半数を握る政党がない状況が生まれたら、そこでキャスティングヴォートを握ることを目指している政党にしか思えない。いってみれば、彼らを結びつけているのは、「キャスティングヴォートを握りたい」という目的のようである。しかし、それも、理念といえば理念といえなくもない。あるいは、なかには、自分たちはキャスティングヴォート狙いなどという姑息な目的ではなく、将来の政界再編の起爆剤となりたい、と真剣に考えて新党に参加している人々もいるかもしれない。もしそうなら、それはそれで、非の打ち所のない立派な理念である。
だから、ボクは、こうした新党結成を、「理念がないから」とか、「目先の目的に流されて」とか、「数合わせのためだけに」などと批判するつもりはない。憲法は、集会・結社の自由を保障している。だから、こうした新しい政党も、堂々と、自分たちの主張を訴えていけばよいと思う。
しかし、である。昨日、ニュース番組を見ていたら、今度できたばかりの新党の代表になった方が、インタヴューの中でとんでもない理屈をこねていたのには辟易してしまった。この方は、自分が既成の小政党にすり寄る形で新しい政党を作ったことに対する批判に答えて、そのように変則的に新党を発足させたのは「政党になるための要件として、国会議員の5人が必要だ」からであるといい、それは「政治のイロハ」であり、あたかもその要件について知らないで批判している人たちは、勉強不足だとでもいいたそうな、上から目線的ものの言い方をしていたのである。
この見識は、とんでもない間違いである。議員5人という要件は、政党助成法という特定の法律の中で定義された政党のこと(もっといえばその法律に基づいて助成金をもらうための政党のこと)であって、民主主義国家日本において、政党をつくるのにそのような要件があるわけではない。繰り返すが、政党とは本来、政治的な理念を共有する人々が自発的に集まって「下からわき上がって」できてくるべきものだから、である。
この方、驚くべきことに、むかし政治学の先生であったらしいのであるが、もういちど、本当の「政治のイロハ」を学び直した方がいいのではないか、と思うのである。