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2009年07月29日

ランチタイムのミニサラダ

昼時にレストランに入ると、「今日のスペシャル」とか、「今日のサービスランチ」というのがどこにでもある。そうしたメニューは、安いところでは650円ぐらい、高くても1000円ぐらいが相場で、だいたい「ミニサラダ、ドリンク付き」ということになっている。昔ながらの洋食屋さんだとメインは揚げ物でそれにライスかパン、今風のカフェだとメインはパスタやサンドイッチで、それらのほかにミニサラダと、食後のコーヒーか紅茶がつく、ということになっているのである。
しかし、ボクは、このランチのミニサラダ、あまり好きではない。
まず第一に、ランチに出てくるミニサラダは、本当に文字通りミニチュアの、まったく食べた気がしない程度の量しかでてこない。ボクぐらいの歳になると、サラダというのは、普段からの野菜摂取不足を補うために、モリモリ、ザクザク食べたい。そう、サラダとは、いろいろな種類の野菜が大盛りに盛られていて、それを食べたら「あ、オレ、今日は健康になったかも」という幻想にかられるようなものでなければならない。しかし、である。ランチのミニサラダは、こうしたサラダの概念からは外れている。それはいつもちっぽけな透明のボールにでてくる。しかも、たいていはレタスかサラダ菜だけ。たまに玉ねぎのスライスが1-2枚、あるいはプチトマトがひとつ、あるいは缶詰コーンが8-9個、上にのっかっているときもあるが、それはラッキーな方で、基本的にはランチタイムのミニサラダは数枚の葉っぱでしかない。あのねえ、こういうの、サラダっていわないんだってば。「ミニサラダ、ドリンク付き」なんて宣伝するの、誇大広告だってば。
第二に、ランチタイムのミニサラダには、ドレッシングがあらかじめかかっているのが多い。それも、たいていかけすぎぐらいにかかっている。これがまたボクは気に入らない。その日、ボクはサラダをドレッシングなしで食べたいと思っているかもしれないじゃないですか。じゃぶじゃぶのフレンチじゃなくて、ゆずゴマドレッシングをほんのちょっとたらして食べたいと思っているかもしれないじゃないですか。いや、そんなことないですよ、ちゃんと「ドレッシングは何になさいますか」と訊くレストランだってありますよ、とあなたは反論するかもしれない。うん、たしかに、ところによってはドレッシングに選択肢が与えられる場合もないわけではない。しかしだね、キミ、そもそも、葉っぱしか入っていないサラダごときに、「ドレッシングは何になさいますか」もなにも、ないんじゃないの。ドレッシングを選べるぐらいなら、もっと中味の方を充実させる方がよっぽど先決なんじゃないの。
第三に、ランチタイムのミニサラダは、もうかれこれ数時間も前に作られ冷蔵庫の中にいれておかれたものが出されている、という感じがしてならない。たしかに、ランチ時、お客さんでごった返しているときに、サラダをいちいちつくって出すわけにはいかない。だから、流行っている店であればあるほど、ミニサラダはずっと前に作りおきされていたものである可能性が高い。しかしだね、アンタ、2時間も前に切った野菜、いや葉っぱ、がみずみずしいわけがないでしょうが。だからって、ドレッシングをじゃぶじゃぶぶっかけてごまかそうなんて、見え透いてるってもんでしょうが。
あ、そうそう、名誉のために言っておきますが、ボクがよくいく「高田牧舎」では、「ミニサラダ」というメニューが別にあり、葉っぱだけではないサラダを注文することができます。残念ながら、ドレッシングは選べないけどね。

2009年07月14日

政治寸評

“A politician's words reveal less about what he thinks about his subject than what he thinks about his audience” (George Will)

まず東国原さんと古賀さんとの会談について。「出馬依頼」が目的なら電話ですれば済むこと。にもかかわらず、二人が仰々しくまた公然と会談を設定したということは、その会談をテレビに映されることがどちらにとっても利のあることと判断したからにほかならない。もちろん会談中に、会談の後お互い何をぶらさがりや記者会見で話すかについては、合意ができていたはず。だから、会談について東国原さんがテレビカメラを前にしていったことを、古賀さんはあらかじめ知っていたし了解していたはず。古賀さんは、この爆弾発言が何らかのポジティヴな効果をもたらすと確信していた。さて、ではその効果とはいったい何だったのか。これを考えはじめると、かなり面白い。いま古賀さんは「浅はかだった」と反省しているが・・・。

サミットを終えた後での麻生さんの記者会見。質問しているイタリア人記者が流暢に話す日本語を、麻生さんが褒めていた。そのようなお世辞をあの場でいうことがプロフェッショナルでないし、失礼に当たるということを、麻生さんはわかってないようであった。軽いジョークのつもりだったのかもしれないが、そうだとすれば大失敗。しかし、まてよ、麻生さんは、自分自身の日本語がおかしいということを自覚して、自虐ネタとしていったのかもしれない。もしそうだとすれば、これは結構手の込んだジョークだということになる。いやしかし、記者の方はそうは受け取ってなかったようだから、いずれにしてもこれは失敗だな。さて、その会見の中で、麻生さんは、インドの「大統領」とカナダの「大統領」に言及していた。あー、やってしまった。やっぱりなあ、やれやれ。「外交の麻生」なんて、誰が言ったのか・・・。

橋下さんが、「知事会」で政党支持を打ち出そうとしたことについて。これはおかしい。橋下さんを含め知事のみなさんだって、国政をあずかっていらっしゃる政治家とまったく同じに、ひとりひとり、選挙で選ばれていま公職にある方々である。その選挙で選ばれた時点で、有権者に「自分は○○党を支持する」といっていたのか。そうしていたならともかく、そうでないなら、いまさら政党支持を打ち出すのは自分たち自身の公約に違反しているのではないか。そういう人が、マニフェストの重要性を訴えるなどというのは、論理的に矛盾している。

オバマ大統領が、ガーナを訪問し、奴隷貿易の遺跡を訪れた。どうしても自分の子供たちに、黒人たちが乗り越えてきた歴史の重みを感じて欲しいからと、サーシャとマリアも連れて。冒頭引用したジョージ・ウィルは、「政治家の言葉」といっているが、実は「政治家の一挙一動」も、見ている観客に何かを伝えているのである。

2009年07月12日

同窓会の人生訓

先日、小学校の同窓会が、地元横浜で開かれた。
卒業してから35年がたつのに、同窓生約80名のうちほぼ3分の1が出席した。コアのメンバーは、ボクらの卒業した小学校に、自分の子供たちを通わせている(あるいは通わせていた)OB・OGたちであった。彼らは、普段からPTAだ、運動会だ、バーベキューだ、といったつながりがある(あった)らしい。加えて、ちょうどボクらの多くが、子育てにひと段落した年齢にさしかかったので、今回はとくに大盛況となったようである。
同窓会は、お化け屋敷に似ている。興味津々、中をのぞいてみたいけど、どんなサプライズが出てくるかわからないのでちょっと怖い。まずは、みんな自分のことをちゃんと覚えていてくれるだろうか、という不安がある。「ボクだよ、分かる?」と話しかけて、「ええと、誰だっけ?」と言い返されたらたまったものではない。今回、ボクは会場へ着くなりM山さんから「あ、XX君?」と間違えられてしまった。ちょっとショックであった。
同窓会では、暴かれたくない過去の事実が暴かれて赤面する、ということもよく起こる。たとえ今はどんなに立派な大人となっていたとしても、その立派さをいとも簡単に覆してしまうような、想い出話がひとつやふたつ必ず出てくる。
たとえば、今回幹事の1人であるS君。Mnちゃんに次のようにいわれていた(そうである)。
Mnちゃん「私ね、『2番目』っていわれた」
S君「2番目?」
Mnちゃん「そう。『1番好きなのはO田さん。Mnちゃんは2番目だからね』だって」
同窓会は、また、予想もできない形で、自分の行動や人格を見直すよい機会となる。うん・・・、いや・・・、というか、ですね・・・、今回、ボクは自分がいかにサイテー男であるかを思い知らされ、見事にたたきのめされてしまった、のであります・・・。
ことの発端は、名簿の回覧であった。ボクがこの同窓会に最後に出席したのはもう30年も前のことで、ボクが出席しないでいた間にこの名簿が作られ、住所とか勤め先の変更を更新するため今回もそれが各テーブルをまわっていた。その名簿には、近況をひとことずつ書く欄も付いていた。ところが、どういうわけか、前回まで出席していないにもかかわらず、ボクの近況のところに書き込みがしてある。「H川さんとデート。ハマトラファッションの悪口をいわれたH川さんから嫌われる」とある。??なんだこれ??H川さんとデート?デートなんてした記憶ないぞ・・・。そこで、ボクは、自分の周りにいる人たちに「ボク、H川さんとデートなんてしたことないのになあ、おかしいなあ」と、10数年遅れの「火消し」をしてまわった(つもりであった)。
さて、しばらしくして席替えとなり、ボクはH川さんのそばに座った。そこで、ボクはH川さんに、「デートなんて、したことないよね」と確認を求めた。そしたら、H川さんは、「デートじゃないけど、2人で原宿の辺、行ったわよ」とおっしゃる。ガガーン。2人で?原宿?ホント?
H川さんは素晴らしい女性である。大人の、できた女性である。そのとき彼女はボクに向かって「覚えてないなんて、サイテーね」と言うべきだった。しかし、彼女はその言葉をまるごと飲みこんで、笑顔で一緒にツーショットの写真に収まってくれたのである。うーん、本当に素晴らしい。それに引き換え、なんと自分は・・・。
人間は、知らない間に他人を傷つけながら生きている。
わかっていたつもりではあったが、今回は、この重要な教訓をきわめて劇的な形で思い出させてくれた。そう、同窓会とは、人生の中で大っ恥をかき、自分を省みるための貴重な場を提供しているである。