« 2008年11月 | メイン | 2009年01月 »

2008年12月27日

ハヤシライスが食べられなかった話

横浜にある、有名な洋食屋さんにいった。
その名は梅香亭。横浜スタジアムのすぐそばにある。レトロの中のレトロ、というお店。その雰囲気にふれるだけでも、行く価値があると思う。なにせ創業は大正時代である。
ストーブが真ん中にドテッとおいてある。椅子や長椅子には、アイロンがぴんとかかった真っ白な布がかけてある。電話のベルも、あの「ジリリーン」という、レトロな響きがする。
ランチ時をさけて、1時半ごろに行ったのだが、ボクのお目当てはハヤシライスであった。ボリュームがあって、コクがあって、そしてアツアツで出てくる。
ところが、ですね、その日、どうもボクには運がなかったようです。
フロアーを仕切る方が、メニューを持ってきて、律儀に説明する。
「いまはカレーはやっておりません。それから、ハヤシは、おそらく、先ほどのお客様でおわってしまいました。」
?「おそらく」?
しかし、「おそらく」であろうとなんであろうと、「おわってしまった」といわれたものを注文するわけにはいかない。ボクは方針転換を強いられて、メニューをじっくり眺めることになった。
そこに、やってきたのは近くで働く(と思しき)サラリーマン。常連らしく、席につくなり「ハヤシライス」と頼んでいる。そしたら、その律儀なフロアーさん、「あの、もしかするとハヤシは先ほどのお客様でおわってしまったかもしれないので、いま聞いてきます」といって、キッチンに入っていった。ところが、出てくるなり「あの、もう一皿できるそうです」と、ニコニコしながらその客に報告している。
オイオイ、それはボクのハヤシライスでしょうが・・・。
ボク、わざわざ15分も歩いてここまで来て、ハヤシライスを食べようとしたのに・・・。
ボクは、一瞬、ボクもハヤシを食べたかったんだけどな、とボソッと言おうかと思った。でも、そう言ったところで、その客とフロアーさんを困らせるだけだし、と思い返し、メニューをさらにじっくりと検討して、結局エビフライを注文することにした。
狭い店なので、そのとき中にいた周りのお客さんたちは、だれもが起こったことの一部始終を見届けていた。だから、もしボクが、自分もハヤシを食べたかったのになどと言っていたら、ボクには「ハヤシが食べたかったのに、食べられなかった人」というレッテルが貼られてしまうはずであった。いや、もしかすると、みんなは、ボクをバツの悪いヤツとして笑いもの扱いするかもしれない・・・。
だから、ボクは、わざと平然を装い、「ハヤシなんて、別に食べたかったわけじゃないからね」というような顔をして、エビフライを頼んだのである。
さて、ボクがエビフライを食べ始めると、そこにもう一人、今度は若い女性のお客さんが入ってきた。この方も常連らしく、入ってくるなり「ハヤシライス」と注文している。
そしたら、再びその律儀さんは、「あの、もしかするとハヤシは先ほどのお客様でおわってしまったかもしれないので、いま聞いてきます」といって、キッチンに入っていった。
そして、彼がまた嬉しそうにいったのである。
「あのもう一皿、できるそうです、これが最後です。」

2008年12月18日

沖縄平和祈念公園

ゼミ生たちと沖縄を訪れた。
事前の旅行計画を立てる段階で、ボクはどうしても平和祈念公園だけには行きたいとこだわった。そんなわけで、ゼミ生みんなで1時間ほどをそこで過ごすことになった。
天気は晴れ。ボクは白いシャツを着ていた。
前回この場所を訪れた時、ボクは宗前先生のはからいで(当時)琉球大学の学生だった二人に案内してもらった。公園は、広くて、綺麗で、そして光り輝く海が見えて、それだけでも感動した。
しかし、そのときボクはその場所で、おそらく一生忘れることのない経験をすることになった。ボクらは、沖縄戦で亡くなった人々の名前が刻まれた石碑の間を歩いていた。その石碑には何万、いや何十万という人々の名前が刻まれている。その名前をじっと眺めていたとき、ふとその若い二人に「あなたたちのご親戚で、ここに名前が刻まれている方がいらっしゃるのですか」と尋ねた。そしたら、その若い二人はどちらも「はい」と答えて、自分自身に直接関係する人や近所の知り合いの親戚の名前がそこに刻まれていると教えてくれた。
ボクは、その時、遅まきながらではあるが、沖縄に生まれ育った方々がこの公園に対してもつ思い、ボクのような一介の観光客をそこへ案内するときの彼(女)らの気持ちの複雑さを思い知らされることになったのである。
平和祈念公園は、本当に美しい公園である。キラキラと輝く青い海と綺麗に手入れの行き届いた花々を背景に、なんとも穏やかな空気が流れている。いまでは多くの外国からの観光客も訪れている。そして幼い子供たちが、無邪気にはしゃぎ回っている。
しかし、もちろん、そこはかつて多くの人々が死んでいった場所であり、その人々の魂を鎮める場所でもある。そうした犠牲者たちの名前が刻まれた石碑が立ち並んでいることが、平和な風景とそこに流れる穏やかな空気に限りない奥行きを与えているように思える。平和がとてつもなく大きな代償を払うことによってしか得られないという現実。しかし、とてつもなく大きな代償を払うことよって得られた平和がなんと美しいかというもうひとつの現実。平和祈念公園は、この二つの現実を見事に物語っている。
ボクは、今回も、前回とおなじに、石碑からなかなか目を離すことができなかった。
石碑には、名前が刻まれているだけである。それは、非常に無機質で無感情な名前の羅列に過ぎない。しかし、その無機質さ、無感情さがボクを圧倒する。名前の刻まれているそれぞれの人は、いったいどういう人だったのか。どのような人生を送り、その人生はどのようにして最後を迎えたのか。その時何を思ったのか。何を念じたのか。
そういうことは、わかりようもない。
わかりようもないから、なかなか目を離すことができないのである。
またいつか、機会があったら、訪れたいと思う。