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2014年03月30日

朴大統領の反応について

最近行われた日米韓の首脳会談の記者会見の席で、安倍首相が韓国語で話しかけたのに朴大統領がそっけなかった、ということが話題になっている。で、このことについて「いや実はそっけなかったのは、テレビに映っているときだけで、会談の時は握手もしたし、笑顔だった」ことが明らかにされている。そして、このことから、もっぱらメディアでは「だから、朴大統領の反応は国内向けのものであった。日本に対し妥協したことを見せると政治的コストが大きいからそうしたのだろう」というような解釈が引かれている。
ボクは、こうした分析は、間違っている、というか、一歩足りない、と思う。
まず、朴大統領の行動が単純に韓国国内での政治的コストを考えた上での行動であったのなら、(カメラの入った)会見の時であろうと、(カメラの入らない)会談の時であろうと、ずっとそっけない態度を貫く必要があったはずである。(上記の報道がまさにそうであるが)、朴大統領が外向きの顔と内向きの顔とを使い分けていたという情報がもれてしまえば、韓国国内の対日強硬派は「なんだ、やっぱり朴大統領は妥協したのか」と反発するにちがいないからである。ボクには、そうした対日強硬派が、テレビの画面に映っている時だけ建前的にそっけない対応をしていてくれればよい、などと考えているようには思えない。
さて、ということは、どういうことか。ここには、二つの可能性しかない。第一の可能性は、朴大統領が、会見時の厳しい顔と会談時の穏やかな顔とを使い分けるという情報が外にもれるとは、よもや思っていなかった、という可能性である。もしそうした情報統制がうまくいく(と信じていた)のであれば、表向きにそっけない顔をすることで、彼女は政治的コストを免れる(と信じていた)ことになろう。しかし、実際は、この二つの顔の使い分け自体がニュースになってしまったわけであるから、この情報統制はみごとに失敗した、といわなければならない。ということは、この第一の可能性を論理的につきつめると、朴大統領はそのような情報統制ができるという錯覚に陥った、つまり彼女が判断ミスをした、ということでなければならないことになる。ま、そういうこともありうるかもしれないけれども、ボクには朴大統領(および彼女のまわりにいるスタッフ)が、それほどナイーブだったとは思えない。
第二の可能性は、第一の可能性とはまったく逆に、二つの顔を使い分けるということ自体がニュースになることをあらかじめ十分承知の上で朴大統領はそのような対応をした、という可能性である。こちらのシナリオが正しいとすれば、朴大統領は、たとえ二つの顔の使い分けがばれて国内的に反感を買うようなことがあっても、それを甘受する用意があったということになる。国家と国家の外交においては、このような表の顔と裏の顔を使い分けることはよくあることである。だから、彼女は、むしろあからさまにその使い分けをみせることによってあるシグナルを送っていたと考えることができる。そして、ここが最も重要な点であるが、その送ろうとした相手は、けっして(上記のメディア解釈が示唆するように)韓国国内の対日強硬派だったのではなく、日本だったと考えるべきなのである。
そのシグナルの意味するところが何なのかは、この首脳会談に至る水面下の交渉が不断に行われているわけであるから、このひとつの事例だけからでは正確には判断しようがない。ただ、それが「私だって対日関係を改善したいのよ。(だけれども、国内の強硬派が簡単にそうはさせてくれないのよ。)」という、いってみれば自国の内情の率直な告白であった可能性は十分にあると、ボクには思えるのである。

2014年03月26日

卒業おめでとう 2014


河野ゼミ10期生のみなさん、卒業おめでとう。
早稲田にきて、あっという間に時が過ぎていき、とうとう君たち10期生を社会に送り出すことになりました。きのうの追いコンは11期生たちがすばらしいプロデュースをする中、一人一人が心のこもった挨拶をしてくれて、ジーンときました。ヨウジロウの爆弾宣言には、驚いたけどね。

ボクの弾き語りも意外にうまくできてよかった。一曲目は、もうすこし君たち一人一人の目をみて、唄えればよかったのかもしれないけれど、そしたらエリコからもらい泣きしちゃって、唄えなくなっちゃったかも知れないんで、あのくらいでよかったんじゃないかな。

さて、大学の先生というのは、大学生にとっては、バイト先のボスや先輩とかとならんで、はじめて出会う社会人のひとり、という位置づけになるのではないかと思う。ボクは、そのことを肝に命じて、君たちが社会へ出ていくtransitionがスムーズにいけばいいなあ、といつも思っていた。しかし、大学の先生は、ボクも含め、一般の社会人とは異なり、企業や組織の中でもまれた経験もそれほどないし、世間知らずが多い。君たちは、社会にでていったら、ボクよりもはるかに豊富な人生経験をもった魅力ある人たちと、たくさん出会うことになる。それらの人々からさまざまなことを学んで、そして今度は君たちの後からついてくる人たちのロールモデルになれるように、これから成長していってください。

卒業にあたり、どのような言葉をはなむけにしようかと迷いましたが、今年はCaptain John Luke Picard (of USS Enterprise)の台詞から、次を選びました。

What we leave behind is not as important as how we’ve lived.

財産や名声、あるいは業績なんて、いずれ時がたてば、はかなく失われていく。
目標をもつこと、夢をもつことは、それらを達成する間のプロセスを大事にするためのもの。
どうか、すばらしい人生を切り拓いていってください。

河野ゼミ10期生に、乾杯! 

2014年03月12日

You can’t be serious….

甘利明経済再生担当相は11日の閣議後会見で、今年の春闘での賃上げについて、「政府は、復興特別法人税の減税を前倒しして、原資を渡している。利益があがっているのに何もしないのであれば、経済の好循環に非協力ということで、経済産業省から何らかの対応がある」と述べた。(産経新聞 3月11日(火)11時43分配信)

Reaction 1: Is this a threat?
Reaction 2: Can government issue a threat of this kind to private business in Japan? Wow, if I were a foreign CEO or investor, I would pack up and get out immediately. I can’t imagine what good that kind of threat would do to Japan’s economy.
Reaction 3: When did Japan’s Liberal Democratic Party become a bunch of socialists?
Reaction 4: I thought that Abe Shinzo and his government were all conservative. Have I been misled on this for all this time? Or, does the word “conservative” have a perversely different meaning in Japan?
Reaction 3: Am I “協力的” to Japan’s economic turnover? Well, lets see… I cooked at home today, instead of going out for dinner at a restaurant. Sorry, Mr. Amari, it seems that I did not contribute to 経済の好循環 as much as I could have. Well, come to think of it, I even bought half-priced chicken on sale and tried to save some money for myself, instead of contributing to 経済の好循環. Oh, shit, do I get punished for that? Oh, no, what kind of punishment should I expect?
Reaction 4: I thought that Abe had a group of rather talented economic advisors working for his government. Where are they now? Were they all asleep when this statement was made? Did they quit working because they were tired of being ignored ? Or were they simply tired of being not understood?
Reaction 5: And, where are all the supposedly-able METI bureaucrats? Were they also all asleep when this statement was made? They can’t let their good reputation go down the drain. Or can they?
Reaction 6: This must be a sign of the government of Abe getting so frustrated with stalemates on various policy fronts. Abe has so far failed constitutional revision, which he said that he would promote vigorously. He also seems to be failing in constitutional reinterpretation on collective self-defense. Of all the promises he had made, the most notable accomplishment was a visit to Yasukuni, but that got himself lots of trouble with the United States. So, it seems that Abe is desperate in believing that he cannot afford to fail in Abenomics and economic recovery. Oh, yes, this kind of rather extraordinary statement must be the product of fatigue and stress on the part of Abe. Take care Mr. Abe!
Reaction 7: And, why isn’t Japan’s news media commenting on how perverse and abnormal this statement is? Oh, I get it. They must also be afraid of getting punished by METI for saying something counterproductive to 経済の好循環.

2014年03月03日

ウクライナ危機について思ったこと

クリミア半島をロシア軍が支配下に置いたとの報。この国際危機については、いまのところどこからも取材を受けていないが、いくつか思った点を備忘録としてまとめておきたい。
1)ロシアがあれだけ迅速に大量の軍隊を派遣し、ほとんど一夜にして実効支配を確立したということは、おそらく半島を奪還するシナリオを思い描き、これまでに何度も図上シミュレーションや実際の演習を行ってきたとしか思えない。ウクライナが親欧化するということは、おそらくロシアにとって「想定内」だったのであろう。これに比べて、NATOやアメリカ側が同じくらい真剣にこの可能性を検討してきたとは、とうてい思えない。
2)それはなぜかといえば、結局のところ、ロシアにとってのクリミア半島の意味の方が、ヨーロッパやアメリカにとってのクリミア半島の意味よりもはるかに大きいものだからである。つまり、この事件は、国際政治なるものが法でもイデオロギーでもなく、いかにpower(力)とinterest (利害)によって動いているかを示す古典的な事例、つまり国際関係理論でいうところのリアリズムの考え方に合致する事例なのである。
3)ロシアの動きはウクライナの主権を侵害しているという欧米の批判は、主権というものがあたかも純粋に法的に成立するかのような、理想主義的な側面をもっている。しかし、S・Krasnerが名著Sovereigntyの中で明らかしたとおり、歴史的にみても、抽象的概念である主権なるものが問題なく成立していた時代などというものはない。弱小国の主権はつねに大国の思惑次第でいかようにも侵害されてきたのである。だから、(第2のポイントにもどるが)国際政治を現実主義という冷徹な視座を抜きにして考えることは誤りである。
4)しかし、そもそも主権とは何なのか。われわれは、主権なるものを自明のものとして考えてよいのか。もし(報道されている通り)クリミア半島においてロシア人が多数派を占めるのならば、クリミア半島の「民意」が、ウクライナの親欧化に反対していることには、住民自治や民主主義の原則からして十分正当性があるといわなければならない。問題は、前にも何度も指摘していることであるが(たとえばこのブログでは「民意について」でそれを論じているが)、住民自治や民主主義の原則自体は、自治を決定する住民はだれか、民主主義のもとで権利(主権)をもっている人はだれか、について何も語ってくれない、という点にある。住民自治の原則のもとでの住民の定義、民主主義の原則のもとでの主権者の定義は、いってみればそれらの原則に先行して決定されていなければならない。残念ながら、そうした定義が、誰もが文句をつける余地のないなんらかの原則によって根拠づけされることはありえない。今回のウクライナ危機も、そのような主権概念の曖昧さに、その本質が由来しているのである。