都知事選備忘録
先日、都知事選についてあるところから取材をうけた。その時のQ&Aのポイントを、自分の備忘録としてまとめておきたい。
Q:報道各社の調査によると舛添氏がリードし、細川氏が追う展開。舛添氏が高い支持を得る理由は?
My A:自民、公明の支持層を固めているということ、そして有力候補者の中では、手堅い行政手腕が期待されるということではないか。基本的には、舛添vs細川の構図は、支持基盤がはっきりしている人の支持vs無党派からの支持という構図であろう。その無党派を掘り起こす「風」が吹いていない、というのが接戦になっていない原因ではないか。
Q:細川氏は根強い人気の小泉氏とタッグを組んで「脱原発」を訴えているが、原発が最大の焦点になっておらず苦戦を強いられている。反原発に頼ったキャンペーンは、厳しいのか?細川劣勢の原因は?
My A:脱原発というキャンペーンが、必然的にむずかしいということではないと思う。「郵政民営化」一点張りで選挙ができるのなら、脱原発一点張りでも選挙ができたはず。しかし、脱原発に頼ったキャンペーンに対しては、当然「そればかりではない」という批判や反論がくることが予想された。それらをかわすだけのレトリックを細川陣営が用意していなかった。もちろん、脱原発候補として一本化できなかったことからして、すでに大きなツマヅキだった。有権者には、細川にせよ、小泉にせよ、「一度ピークを過ぎた人」というイメージがある。(その点、舛添は、厚労大臣はやったけども、首相にはなっていないので、まだかけてみるべき「可能性」がかろうじて残っている点で有利な面もある。)どちらも、政治家をずっとやっていたならともかく、一度引退を表明した。それゆえ「思いつき」で選挙に出てこられたんではたまらない、と感じている有権者が多いはず。だからこそ、公約をすぐ用意できなかったり、選挙対策チームが分裂したり、といったことは、細川陣営にとってはあってはならないことだった。「思いつき」ではなく、「用意周到」「戦略を練った上で」出馬したんだ、というイメージをとことんつくりあげていかなければならないのに、それに失敗した。まわりにいる人たち(参謀)が、才能がなさすぎ。
Q:都知事選全般についてのコメントは?
My A:都知事選挙が政党同志の闘いになっていないことが、とても悲しむべきことである。政党からでている候補者であるからこそ、もしその人が公約に反したり、あるいはスキャンダルを起こしたりすれば、その人の出身政党に対し、有権者は「次の選挙」で罰を下すことができる。ところが、無所属の個人商店の候補者だと、当選して現職時代に不祥事をおこしたりしても、それを罰する機会を有権者はもたない。より一般化していえば、個人の政治家はその場限りで出たり入ったりするが、時間(複数の選挙)を超えて存在するのは政党なのであり、民主主義のもとでは政党こそが、アカウンタビリティーを担保するものである。だから、政党の顔がみえない首長選挙というのは、日本の民主主義にとって不幸である。