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2008年06月29日

ゼミ対抗フットサル大会

すこし前になるが、ゼミ対抗フットサル大会なるものが開催された。
場所は所沢。所沢ということころは都心から遠いと思っていたが、案外近いのである。高田馬場から指定席付の特急にのると30分もかからない。ボクは朝、横浜方面から向かったので、2時間ぐらい前に出たら、早く着きすぎて、駅のスタバでヒマをもてあましてしまった。
そのスタバからみていると、どうやら早稲田生らしい一群が次々と到着。われわれゼミのメンバーもだいたいそろったので、現地へ向かった。
われわれの面子は、飯田、今井、橘田、西山、古條、綿岡、それにボク。板村と日野が応援に駆けつけてくれた。3つのグループにわけ、それぞれ8試合まずやって、上位2チームが決勝トーナメントに進むという方式だった。
さて、最初の出番を待っていると、久米ゼミチームがボクのところへきて「先生、人数がまだそろわないので、出てください」という。その日は、日差しが強く暑かったので、あんまり最初から飛ばすと体力がなくなるのではないか、と心配だったが、本番の前のウォーミングアップのつもりで出た。試合には負けたが、久米先生に恩を売ることができた(←久米さん、忘れないように!)。
で、本当の最初の試合は、森ゼミチーム。ここには(後で名前が判明した)「ヒトミちゃん」という、女性ストライカーがいた。女性の得点は2点。われわれは、試合の最初の方でこのヒトミちゃんにゴールを決められ、リズムを崩した。次の試合は勝ったものの、それ以降も、この初戦敗戦のショックが尾を引き、結局予選突破は早々とあきらめなければならなくなった。
試合の合間の休憩時間には、いろいろ面白い光景を見た。ナチ(板村)は、体育会部所属からか、やはりこういう場では顔が広い。橘田という男は、知っているいないにかかわらず、次々からへと声をかけて、友人を増やしていくという稀有な才能を持っていることがわかった。古條は、われわれとよりも、知り合いの女の子と一緒にいることを好んでいて、西山や綿岡から、「ホント、チャライよな、あいつ」という顰蹙を買っていた。その古條の友人の「リエちゃん」という女の子とボクが仲良くしゃべっていると、彼はヤキモチを焼いていた。しかし、このときは、ボクが自分をさておき、ゼミ生でない学生としゃべっていることに、ヤキモチをやいているのだ、と解説していた。ま、それが本心かどうかはわからない・・・。
フットサル大会を主宰した吉野ゼミの幹事の学生は、背が高く、とても感じがよい好青年だった。ボクが参加したことを、感謝していた。ボクは自分がフットサルをしたいだけだったのだが、あとから聞いたら、ボクがいることで、たとえばその場で酒盛りが始まるというようなことがなく、場が締まっていたということだった。そんなことならお安い御用で、毎年参加したいと思う。
最終試合の相手は、田中愛治ゼミだった。ボクらはピッチで円陣を組んで、この一試合に持っている力を全部出し切ろうと誓って、のぞんだ。0-0のまま、半分が過ぎ、飯田と交代して、ボクに出番がまわってきた。ボクは右の前の方に張っていたら、そこに西山からの好パスが来た。それを振りぬいて、ゴール左隅に決勝点を決めた。
おかげさまで、とてもよい思いをさせてもらった一日となった。
チームメートのみなさん、関係者のみなさん、どうもありがとうございました。

2008年06月21日

知っているようで知らないアメリカ建国の話シリーズその⑥~国務長官から大統領へ?~

ジェームズ・モンローは、第5代のアメリカ大統領である。日本では「モンロー宣言」という外交上の孤立主義を確立したことで有名だが、アメリカでは独立戦争を描いた「デラウェア川を越えるワシントン」という絵の中でアメリカの旗を持っている男、といったほうがピンとくる人がより多いかもしれない。
モンローが大統領になったのは、共和党の絶頂期であった。彼の前には、ジェファーソンとマディソンという二人の偉大な建国の父がそれぞれ2期8年ずつ大統領をつとめていた。モンロー自身も2期8年つとめ、そのあとジョン・クィンシー・アダムズへと引き継いでいる。
この間の政権交代を見ていると、ある共通点が浮かび上がる。それは、前国務長官が次の大統領になっている、というパターンである。すなわち、マディソンはジェファーソン政権下の国務長官であり、モンローはマディソンの下での国務長官であった。そして、J・Q・アダムズもまた、モンロー政権で国務長官をつとめていた。
日本には禅譲という言葉があるが、こうしてみるとこの頃のアメリカでは、政権交代がスムーズにいっていたように見える。大統領は自分の後任にもっともふさわしいと思う人を国務長官に据えて、内外にアピールしたかったのかもしれない。
しかし、このモンローという男、実は、大統領になる前に、マディソンと何度も政治的に対立している。まずは、1788年のこと。(マディソンらが作った)連邦憲法を採択することに反対し、ヴァージニア州において反フェデラリストとして論陣を張った。そして1789年の第1回連邦議会選挙では、マディソンに対抗してヴァージニアから立候補している。そして、マディソンが次期大統領候補としての地位を固めつつあった1808年にも、彼はもう一度彼の対抗馬として名乗りを上げている。モンローは若い時からジェファーソンの寵愛を受けていた。そのジェファーソンが次期大統領にマディソンを推したことで、モンローはかなり落ち込んだらしい。しかし、結局マディソンもモンローの才能を再び高く評価するようになり、1811年彼を国務長官に任命して、自分の後継者とみなすようになるのである。
もっとも、ときに政治的主張がずれることはあっても、マディソンとモンローの二人の間には、ジェファーソンを介して、けっして崩れることのない尊敬と信頼関係があったようである。実際、この3人の間のコラボレーションは、多くの見事な成果を生んだとも考えられる。たとえば、マディソンが第1回連邦議会において、権利章典を含む憲法の修正を主張するようになったのは、ヴァージニアでの論争の中で、モンローが彼にそれを約束させるまで追い詰めたからだといわれている。このときジェファーソンはフランスにいたわけだが、ここでは彼の主張をモンローが代弁しそれをマディソンが受け入れたという構図になっているのである。
モンローがいなかったら、マディソンとジェファーソンの政治生命が早く絶たれていたかもしれない、というエピソードもある。
それは、ジョン・アダムズ(連邦党)政権のもとでの「外人・治安法」成立に対抗して、ジェファーソンとマディソンが秘密裏にそれぞれヴァージニア決議とケンタッキー決議を起草した後のことであった。ある夜、ジェファーソンは、第2弾のヴァージニア決議の相談のためマディソン宅を訪れようとする。しかし、たまたまその場に居合わせたモンローが、ジェファーソンを引き止めて言う。「今の時期、政権側の副大統領(ジェファーソン)とヴァージニア州の下院代表(マディソン)が会談したということが知られたら、ましてやそれが決議と関係している会談だったなどということが知られたら、大変なことになるのではないですか」と。モンローの気転のおかげで、これらの決議の著者の正体が明らかになるのは、ずっと後のこととなったのである。

2008年06月15日

合宿風景2008

前期合宿を菅平で挙行した。5期生の間にはちらほら欠席者があったが、6期生は全員という素晴らしい参加状況であった。行きの車は、飯塚君が運転する車に、古條、飯田、今井君と一緒に乗った。場を盛り上げるため、ボクの取っておきの「西麻布接待話」をしたら、車内での会話が弾むようになった。今井君、飯田君も続けて結構面白い話しをしてくれた。こういうネタをいくつかもっておくのも、会話の場の雰囲気を悪くしないために大切なのだ。とくに幹事長の古條君、そこんとこよろしく。
その日は、着いたのも遅かったし、早く寝た。
翌朝は6時半に起床。朝飯の前に、西山君、上河君、俣野君とジョギングした。俣野君は、自分でも言っていたが、オーバーウエイト気味。いまからそんなことでは、大変だぞ。上河君は、見晴らしのよい丘が見えると、突然ワケのわかんないダッシュで駆け上がって、一気に疲れたなどといっていた。相変わらずペースを考えない生き方をしているなあ。
スポーツのメニューは、ソフトボール、サッカー、ドッジボール、バレーボール、それにバトミントン。ソフトボールでは、4年生チームが勝った。ボクがボックスに入ったとき、ピッチャーの垣阪君は気を使ってか甘く見てか、ちょっとゆるい球を投げてきた。そしたら、センターへうまく打てて、逆転のランニングホームランになった。人生、下手な情けをかけると痛い目に合うものである(←ちょっと大げさ)。休み時間に、軟式のボールでキャッチボールをして、尾崎君の投げる球を受けるのがとっても心地よかった。調子にのって、ボクも投球したら、右肩を壊してしまった。
サッカーは、3年生チームが勝った。手を怪我しながらも小田切君の体の強さはさすがだった。それからムッツリ関口君が得点したのには驚いた。その関口君をマークしているポジションのはずの上河君は、いつもそこにいなかった(←相変わらずだ)。4年生では、西山君の守備が光っていた。ボクは、去年と同じく、たいした活躍もできなかった。足を怪我しているという清水さんの足首を蹴ってしまったのは、申し訳なかった(本当にごめんなさい)。
それから、バレーボールでは、飯塚君がとってもよい動きをしていた。おっと、バレーボールといえば、佐藤さんも忘れてはいけない。?佐藤さん?って、もちろん「カツラ」のことです。佐藤さんと呼んでも、どうもピンとこないねえ。
今年も入ってきたゼミ生たちには女子が多いので、スポーツメニューで大丈夫かなと思ったが、彼女たちもぜんぜん楽しんでいるようであった。ファールにもかかわらず、全力でボールを追い返球していた境さん、よかったすよ(でも野球のルールぐらい知っておいた方がいいかも)。そうそう、ボクの知らない間に、川地さんと板村さんの間で、壮絶な卓球バトルもあったようで、次回は卓球も新たにメニューに入れなければならないと思った。
さて、余興および宴会も楽しかった。楽しかった?・・・うん、楽しかった(汗)・・・。ボクは、企画されたゲームで結構上位に食い込み、景品をもらった。藤田さん、いや「サヤ」が、とっても大事に選んでくれたクッキーの詰め合わせが、ボクにあたった。ところが、ボクはそこで大失態を演じることになる。その企画の後、流れで飲み会になり、ちょっと酔ってしまって、部屋に引き上げる際、そのクッキーの詰め合わせを、食堂にそのまま置いて引き上げてしまった・・・。翌朝になり、朝食の席で、サヤがジロリとこちらをみていう。「先生、とっても、・・・とっても大事なものを、お忘れになってはいませんか?」
ギクリ。うわー。
うーん、こういうキャラは、去年まではいなかったなあ。
あと宴会の席では、とうとう、ボクも山口さんに手相を見られてしまった。「生涯現役ですね!」うーん、うまいことをいう。これって「短命」ということかもしれないし、「あなたはいつまでも落ち着いた人生を送ることがない」ということかもしれない。(←ちょっとネガティヴすぎるか)
最後になるが、今年の合宿では、車を運転する責任があったにもかかわらず前の晩飲みすぎでつぶれ、帰りに思わぬ「バチあたった」男がいた。ま、迷惑かけたことをよく反省しているみたいだし、今回だけは大目に見てやろう。そう、今回だけは・・・。
みなさん、お疲れさまでした。また後期も楽しい合宿にしようね。