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2007年08月21日

白洲次郎

飛行機の中で、前から読みたいと思っていた白洲次郎さんの『プリンシプルのない日本』(新潮文庫)を読んだ。期待していた通り、そこに描かれている彼の生き方はとても魅力的であった。また、政治的な主張においても、とっても納得のいくことばかりおっしゃっていたことを知って、感動した。いや、感動というよりは、「ああ、こういう人が日本にもいたんだ」と安堵の念をもった、という方が正確かもしれない。
一番すごいと思ったのは、戦争中に「勝ち目はない、東京もいずれすぐ焼け野原になる」と考え、さっさと疎開して農民生活をするところである。自分に与えられたその時々の状況の中で、考えられること(あるいは考えるべきこと)を論理的に考え抜こうとする態度、そして結論を迷わず行動に移してしまう実行力が素晴らしいと思った。
それから、人間を互いに尊敬しあう基本的な礼儀の大切さが日本に欠けているという観察、これにも共感した。たとえば、イギリスの旧貴族はいなかに大きな家を構えていて、その領地の中に村がいくつかある、というようなことがある。≪その田舎道を旧城主の子供が歩いている、向こうからその領地内の小作人のおじいさんが歩いてくる、そういう場合の子供が年長者に対する態度は、実に立派なものだ。ちゃんとミスターづけで、「グッド・モーニング・ミスターだれそれ」とやる。片方も丁寧に「グッド・モーニング・ロード」と挨拶する≫。それに引き換え、日本ではとんでもない勘違いが横行している、と。日本の旧名家などでは、子供がまわりの人たちに威張り散らしている。≪銀行の頭取だの、社長だの、大臣だのの子供が、親父の主宰するところに働いている大人に対する態度も実に言語道断だ≫(23-24頁)。 こういうことについての「教育」(学校で教えることではなく、家庭で教える教養や素養のこと)がなってないという主張も、まったくその通りだと思った。
しかし、こういう個々の主張や観察よりも、白洲さんの書いたものを読んでボクが共感したのは、日本においてバイカルチャーな人、つまり日本のこともそれ以外の国のことも両方知ってしまった人が持つ根源的なジレンマのようなものである。たとえば、上の話でも、イギリスのことを知らなければ、いかに日本の旧名家の子供たちがダメであるか、あるいはいかに日本には基本的な礼節みたいなものが欠落しているかを実感できない。それを説明しようと思って(白洲さんのように)「例えば、英国では・・・」という言い方をすると、たちまち「外国カブレ」と批判をうける可能性がある。いや、下手をすると、「なにいってんだ、日本ほど礼儀正しい文化の国はないんだ」などと、外国に一度も行ったこともない人から反論されてしまうのである。
で、二つを知っているバイカルチャー人間は、一つしか知らないモノカルチャー人間に絶対に勝てない。なぜかというと、モノカルチャー人間には相手のいうことが理解できないが、バイカルチャー人間には相手の主張がどこに由来するのかがよく見えてしまうからである。ということは、この二種類の人間が相対すると、バイカルチャーな方が相手の土俵に降りてこない限り、論争自体が成立しない。つまり、論争の出発点においてすでに、バイカルチャーな人間はモノカルチャーな人間に譲歩しているのであって、それゆえ負けるしかないのである。ボク自身、何度もそういう場面に遭遇しているので、今回読んで感じたのは、きっと白洲さんもそうしたバイカルチャーのジレンマを抱えていたにちがいないという連帯意識のようなものであった。もっとも、白洲さんは、そんなジレンマを突き抜けてしまうような、ものすごいパワーを持ち合わせていたようである。なんともうらやましい。

2007年08月05日

世界は狭いか

ボクが最近興味をもっているのは、アメリカの独立前後の歴史であるが、この前ある本を読んでいて、いろいろ面白いことを知った。たとえば、アメリカの司法権の独立を確立した判決で知られる最高裁判所長官ジョン・マーシャル。この方は、トーマス・ジェファーソンの従兄弟にあたるのだそうである。ジェファーソンは、ご存知の通り、アメリカの第3代大統領であるが、ジェファーソンは、ワシントン、アダムスと続いてきた連邦党政権にかわって、はじめて共和党から大統領となった。しかし、一方のマーシャルは、連邦党の側の政治家で、躍進する共和党の政治的主張をにがにがしく思っていた。そのマーシャルが、(最高裁判所長官の役目として)ジェファーソンの大統領就任式を執り行わなければならなかったのは、なんとも皮肉なめぐり合わせであった。
また、ジェファーソンと大統領の座を争ったアーロン・バーという政治家。この二人のあいだで大統領指名をめぐって繰り広げられた政治プロセスは、それ自体、実に興味深い。で、結局、バーはジェファーソンの副大統領となる。しかし、その後の話はもっと面白くて、彼は酒場で決闘をすることになるのである。この決闘の相手が、なんとアレキサンダー・ハミルトン。ハミルトンはアダムスの後継として連邦党を盛り立てていかなければならない人物であったのに、バーはこの決闘でハミルトンに致命傷を負わせてしまうのである。当時の決闘のしきたりでは、一発目は空にむけて打つことが決められていた。銃の名手であったハミルトンはそれに従って打ったのであるが、バーは銃の扱いが下手で、狙いもしないのに一発目でハミルトンの心臓を打ってしまった。ハミルトンが死に、連邦党はついに命運が尽きることになる。そもそも、バーは、大統領の座をジェファーソンと争ったとき、連邦党の側に担がれていた人物である。そのバーが、連邦党の将来を託されていたハミルトンを殺してしまったのである。これも、なんとも皮肉なことであった。
こういう事実関係をいろいろ知ると、当時は誰もが誰もを知っていた、そういう時代だったんだな、と思えてくる。そういえば、日本でも、明治維新の前後に活躍した人たちも、ネットワークでつながっていた。吉田松陰の松下村塾人脈はもちろんのことだが、それ以外にも、たとえば道場つながりというのがあった。たとえば、それぞれが有力な人物となるはるか以前に、桂小五郎と坂本龍馬がどこかで一度手合わせをしたという話をきいたことがある。人的なつながりがいろいろな形で張り巡らされていたことが、革命を実現する大きな原動力になったことは間違いないのである。
しかし、このように狭い世界の中でいろいろなことが決まっていくのは、あながち遠い昔の話だけではない。というのも、ボクは、日本の若手エリートの集まりのような会合とかパーティに、一時期顔を出していたことがある。○○省で活躍されている方、将来が約束されている××社の御曹司、テレビで見たことのある新進政治家、そしてそうした人たちのネットワークをつくっている黒子のようなマスメディア関係の人・・・。で、そういうところにいると、こういうところに集まる人々が話し合う中から、日本という国家の大きな流れが、決められているんだな、と実感した覚えがある。
やはり、世界は狭いのではないか。その「世界」に入れないというかなじめない人間には、ちょっと苦々しいけど、そんな感じがするのである。