花火は嫌いだ
ゼミ生たちは知っているが、ボクは花火が好きではない。
ゼミ生たちは、合宿というと、どでかい袋にはいった花火セットをいくつも買ってくる。夕食と飲み会の間の行事として、花火はその地位を確立しているのである。ボクも以前は付き合っていたが、さすがに最近は、花火というと「あ、そう、終わったら教えて」と、ふて寝を決め込むことにしている。
なぜ花火が楽しいのか、ボクにはわからない。
火をつけて、しゅーしゅーと燃え尽きるのを待つ。それだけのことではないか。
その間(ま)といったら、意味のある会話をするには短すぎる間である。
だから、「あ、これ、きれい」とか、思ってもいないようなお世辞をいわなければならない。ところが、そのうちお世辞をいうのにも飽きてくる。すると、たいてい、花火の先を地面につけて絵を描こうとするやつが出てくる。となりの人にわざと花火を近づけるいたずらを始めるやつも出てくる。で、典型的には、男の子「ホラホラ」、女の子「キャーキャー」、という鬼ごっこが始まる。
しかし、それにもいつか飽きてくる。そして、間を持て余し切れなくなって、ついにみんな押し黙ったように静かになる。そう、結局、みんな黙って、しゅーしゅーと燃え尽きるのを待っているのである。だから、花火は、くらーい行事なのである。
話は、ちと変わるが、先日、我が家の近くで花火大会があった。
ボクは、花火も好きでないが、花火大会ももちろん嫌いである。
まず、あの人の多さといったら、ない。
それに、花火大会では、ほかでは会わなくてすむようなバカップルに、数多く遭遇する。日本に、こんなに多くのアホなカップルが存在したのか、と気が滅入ってくる。
さらに、花火大会では、実に言葉に窮する。
たとえば、打ち上がった花火に、「あ、きれい」と一度でもいったら、大変なことになる。なぜか。もし仮につぎに打ち上がった花火が、それよりもきれいだったら、「あ、いまの方がもっときれいだった」と、すぐさま前言を訂正しなければならない。そして、その次に上がったのがさらにきれいだったら、「いまのが、今までで一番」などと、最上級の形容詞まで動員して、褒めなければならないことになる。ご承知のように、花火大会では、うしろの方になればなるほど、大型の花火が登場する。だから、早い段階で褒めてしまうと、あとになって形容詞の最上級が尽きてしまう。「いや、本当に、本当にいまの一番よかった。」「あ、いや、今のが、やっぱ一番だったかな。」「あれれ、いまのもよかったねえ。いまのが最高だな」などなど。
このようにして、花火大会では、どこでもかしこでも、会話がバカップル会話に退化していくのである。