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2010年01月31日

ピスタチオがとまらない話

最近、ピスタチオがとまらない。
  ♪やめられない♪とまらない ピスタチオ・・・。
ビール、ワイン、日本酒、泡盛・・・と、ピスタチオはなんにでも合う。
キッチンにいようが、リビングのソファーにごろんとしてようが、水戸黄門をみながらであろうが、小宮悦子さんの時間であろうが、いつでもどこでも合う。
  ♪やめられない♪とまらない ピスタチオ・・・。
ピスタチオは、健康によいらしい。だって、袋にそう書いてある。「ビタミンEを豊富に含む」。
しかし、ピスタチオはカロリーも高い。「エネルギー(可食部100gあたり)607カロリー」。そうも書いてある。
うーん、ヤバイ。ボクはたいてい一日一袋ぺろっとたべてしまう。一袋約110g。これでは、せっかく成功しかけていたダイエットの成果が、水泡に帰してしまうではないか・・・。まてよ、「可食部」というとあの外側の殻は入らないから大丈夫かな、いやいや、それでも400から500カロリーぐらいか、うーん、やっぱりヤバイ、ヤァーバイ・・・。
実は、ついこのあいだまで、ボクは、ラーメンが止まらなかった。
高田馬場、実家の近くの日吉、神楽坂などで、二日連続、いや三日連続で味比べをするなどという無謀もした。12月に訪れた旭川のラーメン村では、ラーメンのハシゴまでしてしまった。
しかし、おいしいラーメンは、そもそも、おいしいラーメン店まで行かなければ食することができない。だからラーメン止まらない病には、おのずと内在的な限界がある。それと比べると、困ったことに、ピスタチオははるかに手軽に手に入ってしまう。スーパーはもちろん、最近はコンビニでも売っている。
なぜ、ピスタチオが止まらないのか。この話をすると、ボクの周りでも結構、ピスタチオ止まらない病にかかったことのある人が多いことが分かった。
その中のひとり、院生の山崎君は「あの殻を剥くという作業工程にその秘密があるのではないか」という仮説を立てている。指先感覚快感仮説である。
これは結構説得力があるが、ボクはついきのうある対抗仮説を思い付いた。
それは、量的幻覚仮説である。
ボクもそうだが、人はピスタチオを食べるとき、たいてい剥いた殻を別の容器に移し替えない。殻とまだ食べてないピスタチオとが、ひとつの容器の中で混在することになる。すると全体の量はまったく変わっていないように見えるので、人は自分の食べたピスタチオの量を正確に実感できないまま、ついつい食べ過ぎてしまうのではないか。
 ♪やめられない♪とまらない ピスタチオ・・・。
さてみなさんは、どちらの仮説が正しいと思いますか。あるいは別の仮説が思い付きますか。
どちらにせよ、仮説を証明しようとするあまり、ピスタチオ止まらない病にかからないように、くれぐれもご注意くださいね。

2010年01月24日

2010年1月マイケルとの夕食

娘の親友アダの父マイケルからメールが来て、たまたま日本に来ることになったので、夕食を一緒にできないかというお誘いを受けた。彼が日本を訪れるのは、3度目。東京あたりの路線マップにはもう慣れたもので、渋谷のハチ公前で待ち合わせて、再会した。何を食べたいかと訊くと、「鰻」というので、勝手知っている店ののれんをくぐった。
ボクは、アダを生後9ヶ月ぐらいの頃から知っている。だから、マイケルとの付き合いも17年近くということになる。どちらも、今年高校を卒業し大学へと独り立ちをしていく子供を抱えている身である。しみじみ、これまでのこと、これからのことをいろいろ話した。
まず、自分の娘も相手の娘も本当にうまく育ったと、お互いに「健闘」を讃え合った。そして、娘たちの間に切っても切れない友情が堅く結ばれていることを、うれしく思うと、感謝し合った。二人はそれぞれ違う大学へ進学する。ともに18年ずっと育ったバンクーバーを離れることになる。でも、きっと二人はこれからも変わらぬ親友であり続けるだろうし、その安心感が二人の人生にとってはかけがいのないものだ、と思う。ということで、よかった、よかったと、酒も食も進んだ。
その後、子供を育てあげた親なら誰もがくぐり抜けることになる熟年人生の変化について、語り合うことになった。奥さんは、アダを独り立ちさせることを受け入れるのが難しいのではないか、と訊くと、やはりそうらしい。「なかなか手綱を離したがらない、離さなきゃいけないとはわかっているんだけどね」、と。
マイケルは、ニューヨーク出身である。奥様もどちらかというと都会派。「どうするの、今の家は引き払うの」と訊くと、いずれそうなるかもしれないが、夏のバンクーバーは過ごしやすいので、両方で暮らすことを考えている、という。アダにとっては、バンクーバーが故郷であるし彼女がいつでも帰ってこれるところがあった方がよい、ともいう。
いうまでもないが、人は子供をもってはじめて親になる。だから、人は、親としてなにをどのようにすればよいのかを、実は子供を育てながら実地に学んで行く以外にない。同じことは、子供が育ったあとの付き合い方についてもいえる。大人として育った我が子とどのようにして接するか、これも、大人になった子供と実際にコンタクトを取り続けながら、実地に学んでいく以外にない。そして、もうひとつ。人は、子供を育て終わったあと、自分の人生をどのように再設計するかも、人生を実際に歩みながら考えていく以外にないのである。
その夕食を通して、ボクとマイケルは、そうしたあたりまえのことを自分たちなりに受け止めて、それぞれ自分に納得させようとしていたにすぎないといえる。
最後に、今年の前半のお互いのスケジュールを確認し合った。卒業式や卒業ディナーなどで会いましょう、と。そして、よかったらいつか娘とニューヨークに遊びにきてくれと誘われたので、ボクもいつでもまた日本に来てくれと返して、別れた。そのようにして、我々は、子供を育て終わった後の人生の中にお互いがちゃんと入っているんだよ、ということをメッセージとして伝え合ったのであった。