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      <title>早稲田のちょいわるオヤジ日記</title>
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      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2010</copyright>
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         <title>花火は嫌いだ</title>
         <description>ゼミ生たちは知っているが、ボクは花火が好きではない。
ゼミ生たちは、合宿というと、どでかい袋にはいった花火セットをいくつも買ってくる。夕食と飲み会の間の行事として、花火はその地位を確立しているのである。ボクも以前は付き合っていたが、さすがに最近は、花火というと「あ、そう、終わったら教えて」と、ふて寝を決め込むことにしている。
なぜ花火が楽しいのか、ボクにはわからない。
火をつけて、しゅーしゅーと燃え尽きるのを待つ。それだけのことではないか。
その間（ま）といったら、意味のある会話をするには短すぎる間である。
だから、「あ、これ、きれい」とか、思ってもいないようなお世辞をいわなければならない。ところが、そのうちお世辞をいうのにも飽きてくる。すると、たいてい、花火の先を地面につけて絵を描こうとするやつが出てくる。となりの人にわざと花火を近づけるいたずらを始めるやつも出てくる。で、典型的には、男の子「ホラホラ」、女の子「キャーキャー」、という鬼ごっこが始まる。
しかし、それにもいつか飽きてくる。そして、間を持て余し切れなくなって、ついにみんな押し黙ったように静かになる。そう、結局、みんな黙って、しゅーしゅーと燃え尽きるのを待っているのである。だから、花火は、くらーい行事なのである。
話は、ちと変わるが、先日、我が家の近くで花火大会があった。
ボクは、花火も好きでないが、花火大会ももちろん嫌いである。
まず、あの人の多さといったら、ない。
それに、花火大会では、ほかでは会わなくてすむようなバカップルに、数多く遭遇する。日本に、こんなに多くのアホなカップルが存在したのか、と気が滅入ってくる。
さらに、花火大会では、実に言葉に窮する。
たとえば、打ち上がった花火に、「あ、きれい」と一度でもいったら、大変なことになる。なぜか。もし仮につぎに打ち上がった花火が、それよりもきれいだったら、「あ、いまの方がもっときれいだった」と、すぐさま前言を訂正しなければならない。そして、その次に上がったのがさらにきれいだったら、「いまのが、今までで一番」などと、最上級の形容詞まで動員して、褒めなければならないことになる。ご承知のように、花火大会では、うしろの方になればなるほど、大型の花火が登場する。だから、早い段階で褒めてしまうと、あとになって形容詞の最上級が尽きてしまう。「いや、本当に、本当にいまの一番よかった。」「あ、いや、今のが、やっぱ一番だったかな。」「あれれ、いまのもよかったねえ。いまのが最高だな」などなど。
このようにして、花火大会では、どこでもかしこでも、会話がバカップル会話に退化していくのである。
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         <link>http://kohno-seminar.net/blog/2010/07/post_178.html</link>
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         <category>コンセプト</category>
         <pubDate>Fri, 23 Jul 2010 21:31:27 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>An Accomplishment</title>
         <description>Senior School Prefect (2010)
Junior School Prefect (2005)
Athletic Council (2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010)

First Responder (2008, 2009, 2010); Honour Roll (2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010); Breaking Boundaries Leadership Conference (Co-Founder/Co-Chair 2008, 2009); CAIS Student Leadership Conference (2008); Yearbook Designer (2007, 2008); Recognition of Service Pin (2007, 2008, 2009, 2010)

Varsity Soccer Team (2005, 2006, 2007, 2008 as Captain, 2009 as Captain, 2010 as Captain); Volleyball Team (2006, 2007, 2008 as Captain, 2009 as Captain, 2010 as Captain); Basketball Team (2006, 2007); Triathlon Team (2005, 2006); Soccer Athletic Pin (2006, 2007, 2008, 2009, 2010); Volleyball Athletic Pin (2006, 2007, 2008, 2009, 2010); Basketball Athletic Pin (2006); Volleyball Provincial Silver Medalists (2007); Volleyball Provincial Bronze Medalists (2008): Golden Boot Single ‘A’ Provincials (2009); LMISSGVA Volleyball Team All Star (2008); Highroad Academy Tournament Team All Star (2008); Guilford Park Team All-Star (2009); Varsity Soccer Most Valuable Player (2007, 2009); Single ‘A’ Soccer Commissioner’s Most Valuable Player (2007); Volleyball Most Improved Player (2007)

John and Rosemary MacDougall Athletic Scholarship (2007); Grade 8 Athletic Scholarship (2006); Mirikitani Citizenship Award (2007); Most Outstanding Female Athlete (2005); Note Taker (2007, 2008, 2009, 2010); Social Studies Merit Award (2007); Drama Merit Award (2007); Yearbook Merit Award (2008); Japanese Merit Award (2008); French Merit Award (2008); Citizenship Award (2007, 2008, 2009)

Bell Walk for Kids (2006, 2007, 2009); Union Gospel Mission Volunteer (2006); Student Leadership Retreat (2006, 2007) 


(For those of you who have watched us grow over the last 17 years, it is my great pleasure to report that my daughter has graduated from high school recently. We thank you for your support, friendship, and love over these years that have made it all possible. Elly, nothing in the world makes me more proud than being your father. Congratulations!)
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         <category>ごあいさつ</category>
         <pubDate>Sun, 04 Jul 2010 12:31:02 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ある乾杯</title>
         <description>Toast to the Parents:

My mother recently posted this on our fridge – “Job Description for a Parent”.

Job Description: Long term, permanent work in a challenging environment, including weekend, evening, and occasional 24 hour shifts.
Responsibilities: The rest of your life – must be willing to be hated, until someone needs five dollars.  Must be willing to be indispensable one minute, and an embarrassment the next.  Must screen phone calls, maintain calendars, and coordinate homework and extracurricular schedules.  Responsibilities also include janitorial duties.
Possibility for advancement and promotion: None.  You must remain in the same position for years, without complaint.
Benefits: No health or dental insurance, no pension, no tuition reimbursement, no paid holidays and no stock options offered.

After the reading this job description, it perplexes me why anyone in their right mind would apply for such a position. 

And, as you stand at the seventeen year milestone of your career as a parent, we, your children, have a message for you; though it may not seem apparent the majority of the time, we are in awe of your organizational skills, your culinary abilities, your patience, your wisdom, and your unconditional love.  

So, on behalf of everyone in this graduating class, we are eternally grateful you took the job.

Lets raise a glass to toast the parents.

（This toast was made by Renee Reimer on May 29th, at Pavilion Ball Room, Sheraton Wall Centre, Vancouver, Canada; for a full version of the job description, see http://outsiderlooking.livejournal.com）
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         <link>http://kohno-seminar.net/blog/2010/06/post_177.html</link>
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         <category>ごあいさつ</category>
         <pubDate>Tue, 29 Jun 2010 19:29:07 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>保守主義、あるいは「の」の問題について</title>
         <description>知っている人は知っているが、先日、非常に光栄なことに、あるテレビ番組で安倍晋三元首相に直接お話しをうかがう機会があった。安倍さんといえば、自民党の政治家の中でも保守派として知られている。で、たまたま、話しの流れで、日本の保守勢力の再編・再構築ということに触れられたので、ボクは、いつも訊いてみたいなあと思っていた素朴な質問を彼にぶつけてみることにした。「日本の保守主義って、何なのですか」と。そしたら、安倍さんは、短い時間ではあったけども、とても丁寧にお答えくださった。
さて、その質問をしたときには自分でわかっていなかったのであるが、ボクは、あとでそのやりとりの部分をビデオで再生して、「日本の保守主義とは何か」というボクの質問そのものがいかに曖昧であったか、ということに気づいた。いや、というより、安倍さんの丁寧なお答えのおかげで、自分の発した質問のワーディング自体が、「日本の保守主義」なるものについて深く知的に考えることをさまたげるようになっている、ということにおそまきながら気づいたのである。曖昧さは「保守主義」にあるのではない。つきつめると、それは、日本語の「の」の問題なのである。
たとえば、政治学の中でも、ボクの専門は「日本政治」ということになっている。これは、「日本の政治」を縮めた名称であるが、英語ではそれをふつう、Japanese Politicsという。前にカナダの大学で教えていたときも、Japanese Politicsというタイトルの授業をひとこま担当していた。しかし、ボクはいつも、このJapanese Politicsという名称が気になっていた。別に、日本に独特の――そう、外国人研究者の本のタイトルのような――Japanese Way of Politicsがあるわけはない。政治は政治、politicsはどこへいってもpoliticsだろう、と思っているからである。だから、本来、授業の名称は、Japanese Politicsではなく、Politics in Japanでなければならない。Japanese Politicsといった途端に、日本に固有の政治のあり方がある、ということを暗黙の前提として受け入れてしまっている、と気になっていたのである。
さて、ひるがえって、「日本の保守主義」というとき、それはJapanese Conservatismなのか、それともConservatism in Japanなのか。日本語の「の」は、この区別をまったく曖昧にしてしまう。もし、日本「の」保守主義が、日本に固有の政治思想・政治運動を指し示すものであるならば、それは前者だということになる。一方、日本「の」保守主義が、どこの国にもある普遍的な保守主義に通じる政治思想・政治運動だということなら、それは後者だということになる。日本「の」（！）保守主義を論じる際、この二つの区別には意識的でなければならない。この二つの間に、矛盾ないし緊張関係が成立することも、十分考えられるからである。
ボクがおそまきながら、この「の」の問題に気づいたのは、安倍さんの丁寧なお答えが、両方を見事にカバーしておられたからである。すなわち、エドモンド・バークに通じる後者の（普遍的な）保守主義についてと、日本の文化や伝統を重視する前者の（独特な）保守主義についてと、両方をちゃんと短時間で説明してくださったのである。おそらく、安倍さんは、ここでボクのいう「の」の問題を、十分認識しておられたのであろう。
「の」の問題は、やっかいである。それは、実際、いたるところにある。たとえば、リンカーンの有名な「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉を最初に聞いて、一番めの「人民の」の意味がよくわからないという人は意外に多いのではないだろうか。「人民の政治」も「人民による政治」も、どちらも所有格を表わしているようだからである。しかし、英語で聞くと、それが、of the people、すなわち人民に対しての政治なのだ、ということをより明確に認識できるようになる。実は、はずかしながら、ボク自身、結構大人になるまで、この意味を良くわかっていなかったのである。</description>
         <link>http://kohno-seminar.net/blog/2010/06/post_176.html</link>
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         <category>コンセプト</category>
         <pubDate>Fri, 18 Jun 2010 01:26:51 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>叙事詩「政権交代の終わり」</title>
         <description>人々が　熱狂した　
あの夏の　政権交代

役者が　替わり　舞台が　回り　
音楽が　流れ　照明が　当てられ　

でも　政権が　交代して
交代が　終わった
パーンと　ではなく　メソメソと

新しい大道具が　入れられ
新しい小道具も　飾られ
でも　それなのに
交代は　もう　跡形もなく

新しいセリフが　唱われ
新しい踊りも　披露され
でも　それなのに
政権だけは　まだ　居残って

今一度　夏が　来る前に
再び　熱狂が　訪れることもなく

パーンと　ではなく　メソメソと

たしかに　政権の　交代
でも　たしかに　交代の　終わり

パーンと　ではなく　メソメソと
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         <link>http://kohno-seminar.net/blog/2010/05/post_175.html</link>
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         <category>コンセプト</category>
         <pubDate>Mon, 10 May 2010 00:20:46 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>民意について</title>
         <description>最近「民意」という言葉が大流行りである。沖縄でも、徳之島でも、集会とか署名活動を通して、普天間の代わりとなる新たな米軍基地建設に反対する「民意」が表明されたということが報道されている。鳩山首相も「民意を重く受け止めたい」と、決まり文句のように言っている。
いうまでもなく、民意に沿った政治が行われることが、民主主義の大原則である。
しかし、そもそも民意とは何か。この問いに答えるのは、むずかしい。
実は、この問いに対する満足な答えを、民主主義の原理や理論そのものから導くことはできない。
たとえば、ある町に原子力発電所を誘致する提案がもちあがったとしよう。そして、その町では、住民投票によって、原発誘致の是非を決めることにしたとする。このプロセスは、一見民主主義的で、非の打ち所がないようにも思える。
しかし、ここには、ひとつの前提がある。それは、その住民投票に参加できる権利をもつのが、誘致先である町の住民に限られている、という前提である。この前提そのものには、まったく民主主義的根拠がない。
たしかに、その町から何百キロと離れた大都市に住む人々にも投票する権利を付与せよ、という主張を展開するのは無理かもしれない。しかし、少なくともその町に隣接する市町村の人々には、投票する権利を付与すべきではないのか。彼らも、この誘致の是非の問題に、大きな利害関係をもっていることは十分に想像できる。たとえば、もし原発事故が起こったとしたら、風向きや地形によっては、それらの市町村においても、甚大な被害が出るかもしれない。
このような論理に対しては、「どこかで線を引かなければ、地方自治や参加型民主主義が機能するわけがないではないか」という反論が返ってくる。その通りである。
しかし、そのような線引きは、実践的な配慮に基づくものであって、断じて民主主義的ではない。もし、こうした線引きを民主主義的に行おうとするのであれば、そもそも「住民投票に参加する権利をもつ住民とは誰をさすのか」をめぐる投票を事前に行って決めなければならない。そのような事前の投票に参加する権利をもつ人が誰なのかは、もう一つ前の投票によってしか決められず、その投票はさらにまた一つ前の… （無限に続く）というように永遠に無限後退を余儀なくされることになり、結局、決定不能に陥らざるを得ないのである。
民主主義そのものには、民主主義的根拠がない。この、屁理屈のような、逆説めいた、いかにもこまっしゃくれた結論から、今一度、現下の普天間移設問題を振り返ると、この問題がわれわれに問いかけていることの大きさが見えてこよう。
それは、「民意」という言葉を振りかざしさえすれば正統性が自動的に付与されるような、民主主義内部での解決が可能な問題ではない（ある町長がインタヴューで用いた「絶対的な民意」という言葉におぞましさを感じるのは、ボクだけであろうか）。それは、民主主義という、われわれにとって自明で使い慣れた根拠がないときに、どこに政治の正統性を求めるか、そもそも日本の民主主義そのものを成り立たせる正義をどのように構築していくのか、というきわめて壮大な（そして非常に知的な）作業なのである。
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         <link>http://kohno-seminar.net/blog/2010/05/post_174.html</link>
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         <category>コンセプト</category>
         <pubDate>Fri, 07 May 2010 20:21:56 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>カツカレーの話</title>
         <description>ボクは、カツカレーが大好きである。
カツが好きである上に、カレーも好きなので、カツカレーは、ボクにとっては一挙両得、一石二鳥のメニューの代表格である。
それにカツカレーは、お得である。たとえばある店でカレーライスが750円、カツライスが750円だったとしても、カツカレーが1500円ということはまずない。800円とか、850円とか、ほんのちょっと割高に設定されているだけである。それで、両方を食べられるのだから、ボクにいわせれば、これを注文しない方がおかしい。
また、カツカレーは、リスク分散のメニューでもある。
たとえば、どこか見知らぬ店に入ったとしよう。このとき、カツライスでもなく、カレーライスでもなく、カツカレーを注文するのは、とても合理的である。カツが不味くても、カレーが美味ければ、救われた気持ちになる。カレーが不味くても、カツが美味しければ、諦めもつく。もちろん、カツもカレーも両方美味しければ、いうことはない。
しかし、カツライスを注文して、カツが不味かったらどうか。あるいは、カレーライスを注文して、カレーが不味かったらどうか。どちらも、救われた気持ちにもならないし、諦めもつかない。不確実性に直面しながら100パーセントのリスクを正面から引き受けようとする注文の仕方は、ボクにはまったく理解できない。
カツカレーを出す店には、二つの系統がある。ひとつは、カツカレーを出すときに、スプーンだけをつけてくる店。もうひとつは、スプーンと割り箸をつけてくる店。前者はカレーの延長にカツカレーを位置づけている店で、後者はカツライスの延長にカツカレーを位置づけている店なのかもしれない。カツカレーに、フォークとナイフがついてくる店というのは、ほとんどない。だから、カツカレーの場合、カツは切らないでそのままかじるか、あるいはスプーンでもって、ごしごし切るしかない。いずれにせよ、割り箸の出番は、あんまりない。
カツカレーがどう盛られているかでとても気になる点は、カツの上にカレーがかかっているかどうかである。もしかかっていないと、当然のことながら、カツの下にあるゴハンにも、カレーはかかっていないことになる。ということは、その部分のゴハンにかけるカレーをどこかから調達してくることが必要となる。食事に計画性が要求され、カレーの無駄遣いは許されないことになる。
だから、ボクは、カツの上にも、あらかじめカレーがかかって出てくる方がうれしい。そういうと、カツの上に最初からカレーがかかっていたら、カツのサクサク感がなくなってしまうではないか、という反論がすぐさま聴こえてくる。たしかにその通りである。しかし、そもそもカレーとカツを一緒に食べたいから、カツカレーを注文したのであって、この反論は的をはずしているように思う。
この前、カツの上にあらかじめカレーがかかってないで出てくるカツカレーの店にはいった。そうしたら、カツにトンカツソースをかけて食べているひとがいた。そうか、こういう人のために、スプーンだけでなく、割り箸が用意されているのかと、そのときはじめて納得したのであった。
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         <link>http://kohno-seminar.net/blog/2010/05/post_173.html</link>
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         <category>グルメ</category>
         <pubDate>Wed, 05 May 2010 00:59:49 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>新党ブームと「政治のイロハ」について</title>
         <description>いまの日本国憲法には、政党についての言及がない。
これは、正しいことである。
なぜなら、政党とは、少なくとも民主主義の政治体制のもとでは、本来、政治的な理念を共有する人々が自発的に集まって、いってみれば「下からわき上がって」できてくるべきものだからである。
だから、日本の憲法は、むしろ、集会や結社の自由を保障している。どのような政党を作ろうとも、それは国民におまかせします、妨げるものはありません、といっているのである。逆に、もし憲法が、「こういう政党しか作っちゃいけません」などということを規定していたとすると、それは民主主義ではなく全体主義体制の憲法だということになる。
ここまでは、「政治のイロハ」である。
さて、先日から、いろいろな新党が立ち上がっている。どれを見ても、今度の参議院選や次の衆議院選で過半数を目指そうというような大きな政党ではない。せいぜい、過半数を握る政党がない状況が生まれたら、そこでキャスティングヴォートを握ることを目指している政党にしか思えない。いってみれば、彼らを結びつけているのは、「キャスティングヴォートを握りたい」という目的のようである。しかし、それも、理念といえば理念といえなくもない。あるいは、なかには、自分たちはキャスティングヴォート狙いなどという姑息な目的ではなく、将来の政界再編の起爆剤となりたい、と真剣に考えて新党に参加している人々もいるかもしれない。もしそうなら、それはそれで、非の打ち所のない立派な理念である。
だから、ボクは、こうした新党結成を、「理念がないから」とか、「目先の目的に流されて」とか、「数合わせのためだけに」などと批判するつもりはない。憲法は、集会・結社の自由を保障している。だから、こうした新しい政党も、堂々と、自分たちの主張を訴えていけばよいと思う。
しかし、である。昨日、ニュース番組を見ていたら、今度できたばかりの新党の代表になった方が、インタヴューの中でとんでもない理屈をこねていたのには辟易してしまった。この方は、自分が既成の小政党にすり寄る形で新しい政党を作ったことに対する批判に答えて、そのように変則的に新党を発足させたのは「政党になるための要件として、国会議員の５人が必要だ」からであるといい、それは「政治のイロハ」であり、あたかもその要件について知らないで批判している人たちは、勉強不足だとでもいいたそうな、上から目線的ものの言い方をしていたのである。
この見識は、とんでもない間違いである。議員５人という要件は、政党助成法という特定の法律の中で定義された政党のこと（もっといえばその法律に基づいて助成金をもらうための政党のこと）であって、民主主義国家日本において、政党をつくるのにそのような要件があるわけではない。繰り返すが、政党とは本来、政治的な理念を共有する人々が自発的に集まって「下からわき上がって」できてくるべきものだから、である。
この方、驚くべきことに、むかし政治学の先生であったらしいのであるが、もういちど、本当の「政治のイロハ」を学び直した方がいいのではないか、と思うのである。
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         <link>http://kohno-seminar.net/blog/2010/04/post_172.html</link>
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         <category>コンセプト</category>
         <pubDate>Sat, 24 Apr 2010 12:02:53 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>オーストラリアでの困難</title>
         <description>かの田中愛治大先生の代役で、オーストラリアのブリスベンに行ってきた。ボクにとっては、生まれて初めてのオーストラリア体験である。ところが、これが、どたばたとヒヤヒヤの連続となった。
ま、正直言って、ちょっと高を括っていたところがあった。オーストラリアは先進国だし英語も通じるしね、とか。ほらよく言うじゃない、オーストラリアって、日本と時差がないから、行くのが結構楽だってね、とか。どこか勝手に自分で自分を納得させていたのである。心に油断とスキがあったのである。
そこに、しっぺ返しがきた。
生まれて初めて訪れる外国なので、もっとちゃんと用意周到勉強し、敬意を払うべきだった。
まずは、そもそも成田空港でのこと。チェックインしようと思ったら、JALのカウンターの女性に「ビザをお持ちでないようなので、チェックインできません」といわれてしまった。ビザ？オーストラリアに行くのにビザがいるのか？いるんですねー、これが。知らなかった。もう、ボクは顔面真っ青、頭真っ白。「どうしよう。せっかく３日３晩頑張って論文仕上げたのに…、ああ、田中先生になんて言い訳しよう…」。いろいろなことが脳裏を駆け巡った。と、そのとき、カウンターの方がいう、「あの、あちらのJTBさんで、まずビザを取得してきてください。まだお席に余裕はありますから、大丈夫です」。
はーん？
そうか。ビザって、別に、大使館や領事館に行って申請するわけじゃないんだ。急いでJTBにいくと、そこでは丁寧に対応してくれた。お値段は3000円少々。事前に知っていれば、自分でオンラインで申請できるビザなのである。なあーんだよ。それじゃ、ここにネットにつながっているパソコンがあれば自分でできたんじゃないかよ。3000円なんて、ちょっと高いじゃんかよ。なんでJALは「お向かいのJTBさんで、どうぞ」なんて、特定の旅行会社を名指しできるんだよ。やっぱりこの二つの老舗会社は、裏で結託してんじゃないのかよ…。などなど、いろいろいいたいことが即座に頭をよぎったが、それらをぐっとこらえ、ボクはあわててJALのカウンターに戻り、搭乗手続きをすませて、一目散にゲートに走って行ったのであった。
さて、そんなハプニングのせいで、ボクは第二のミスを犯した。オーストラリアドルに換金することを、まったく失念していたのである。それに気づいたのは、飛行機の中であった。しまった。ブリスベンに着くのは、朝の7時半だぞ。両替はまだ空いてないかもしれないぞ。しかも、ボクはホテルまでタクシーで行かなければならないぞ。クレジットカードが使えず、現金オンリーの可能性もあるぞ。あーあ、しまった。
しかし、ブリスベン空港につくと、幸いなことに、ボクのキャッシュカードが使えるATMがあった。そこでとりあえず100ドルをおろす。ついでにタクシーに乗り込むときにも、念のため「クレジットカード使えますか」と聞く。すると、なんのことはない、クレジットカードも使えるとのことだった。なあーんだよ、ぜんぜん、大丈夫じゃんかよ。別に心配することなんか、なかったじゃんかよ…。
ひと安心していると、タクシーの運転手がしきりに話しかけてくる。
「……ダアイ？……ドェイ……ダァ……デェイ？」
？
わからん。なにをいってんの、この人？ここ、英語しゃべる国じゃなかったっけ？
なんども聞き返してようやくわかってきたのだが、どうやら「こっちにいるあいだに、オージー・ルールズという、オーストラリアのフットボールがあるから、それを見に行け」と薦めてるらしい。それでボクは思わずきいてしまった、「ホワット、イズ、オージー・ルールズ？」。
これが、第三の失敗だった。
その運転手は、驚いた、というか、どうもプライドが傷つけられたようだった。
お前、オージー・ルールズを知らないのか、それも知らないで、よくもこの国を訪れているな、というような雰囲気がタクシーの中に充満した。ボクは話題をそらそうと、オーストラリアはサッカー強いよね、ほら、あのヒッピーみたいな髪型した、背の高い、ケネディーっているでしょ、あれいま、日本でプレイしているんだよ、とか、いってみたが、「ケネディって知らない」と一蹴されてしまった。
それでも、なんとかホテルまで着いた。支払ったのは50ドル。しかし、あとから分かったのだが、やっぱり吹っかけられていた。空港からは30ドルぐらいで着くはずなのだそうである。あーあ…、ま、しょうがないかな。オージー・ルールも知らなかったんだしな。もっと、ちゃんと勉強してくるべきだったな。敬意を払うべきだったな…。
さて、ホテルの部屋に案内されて、もうひとつ、ボクはミスを犯していたことに気づいた。オーストラリアでは、電源ソケットの形がまったく違うのである。これじゃ、パソコン使えないし、ヒゲも剃れない。それで、ホテルのフロントに電話して、変換器具を届けてもらうことになった。「18ドルです。お部屋につけておきますか？」
正直言って、今回、ボクはオーストラリアやブリスベンについてのガイドブックを一冊ももたずに、飛行機に飛び乗ったのであった。というわけで、事前の準備不足に、見事に祟られたオーストラリア初体験となったのであった。
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         <link>http://kohno-seminar.net/blog/2010/04/post_171.html</link>
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         <category>旅行</category>
         <pubDate>Sun, 11 Apr 2010 11:41:01 +0900</pubDate>
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         <title>卒業おめでとう　2010</title>
         <description>河野ゼミ６期生のみなさん、卒業おめでとう。
君たちがゼミに入ってきた頃、ボクはちょうどサバティカルをスタートし、この２年間、ボクの学生との接点はほとんど君たちに限られていました。そんななか、君たちに会いに、月曜日に大学に向かうことが楽しくて、ボクの生活に大事なリズムを作ってくれました。飲み会、合宿、旅行など、とても多くの想い出もできました。君たちのおかげで、この２年間、ボクの人生が豊かなものになりました。本当にありがとう。
このブログを読む時は、君たちはすでに新しい生活をはじめているでしょう。追いコンの時にいったように、あまり過去を振り返ってはいけません。過去を振り返り、大学時代はよかった、ゼミは楽しかった、などと考えるのは、今を十分に生きていないからです。これから、君たちは、大学までとは違う魅力ある人々に出会い、この世界に生まれる多くの人が想像もできないような恵まれた環境で仕事をする機会を得て、自分が生きていることの素晴らしさを感じ、幸福を追求できるのです。広く自分の心を開いて、いろいろなことを受け止め、大きく育っていってください。
先日、トーマス・ジェファソンのゆかりの地、Monticelloを訪れた時、ガイドの人が面白いことを語っていました。ジェファソンが大統領になった頃、センサス、日本でいうところの国勢調査が行われました。ジェファソンのところにも係りの人がやってきて、職業は、と尋ねました。すると、彼は「大統領」でも「政治家」でもなく、farmer、つまり農民と答えたのだそうです。もちろん、彼は独立宣言の起草をはじめ、多くの自分が成し遂げてきた業績を誇りに思っていました。しかし、彼は、できることなら、美しいMonticelloに引きこもって、農作業にいそしみたかったのだ、と伝えられています。
大きな富を得ても、さまざまな業績を積み重ねても、人のうらやむようなパートナーと結婚することができても、自分なるものが揺らぐことはないのです。いや、揺るがない自分があるからこそ、人は人生に成功するのです。

卒業にあたって、今年はジェファソンの以下の言葉を贈ることにします。

In matters of style, swim with the current; in matters of principle, stand like a rock.  （Thomas Jefferson）

卒業に、そしてこれからの幸せな人生に、乾杯！
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         <category>ごあいさつ</category>
         <pubDate>Thu, 01 Apr 2010 20:21:26 +0900</pubDate>
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         <title>久々の浅草、初めての浅草</title>
         <description>ある方に誘われて、浅草演芸ホールへ行った。
お目当ては柳家さん喬師匠。その誘ってくれた方が師匠とお知り合いで、ボクはぜひご一緒させてください、とお願いして実現した。
ボクは、観音様によく初詣に行くのだが、正月はいつも歩けないくらいに人が多い。ゆっくりと浅草を訪れるのは、久々である。そこで、まず乾物屋「熊野屋」を冷やかし、雷門を過ぎてオレンジ通りから新仲見世通りのアーケードをぶらぶら歩く。それから、ここのを食べたらほかのは食べられないという絶品のフリカケの店「薬研彫（ヤゲンボリ）」――世間的には七味唐辛子の店ということになっているが、皆さんここのフリカケも一度お試しください――を右手に見て進み、有名な「ヨシカミ」の前を通って、ホールに到着した。
そしたら、なんと、込んでいる。日曜でどうも団体さんがたくさん入っているらしい。ボクらは、待ち合わせを開演時間ぎりぎりにしたので、立ち見になるかなと心配して中へ入ったのであるが、二つ続きの空席をようやくみつけて、なんとか座ることができた。
さて、その日はなかなか豪華な顔ぶれであった。漫才ののいるこいるは、なんど聴いても可笑しく、ボクは大好きである。中とりが金馬。正蔵（というより、やっぱりこぶ平というイメージが強い）は威勢がよかったし、つなぎに徹した志ん駒も味わいがあった。さらにもうひとつ色物をはさんで、いよいよ、さん喬師匠の出番となった。
師匠は紋付を着て登場、演目は「八五郎の出世」だった。「妾馬」ともいうのだそうだ。八五郎の傍若無人さで散々笑わせてから、妹お鶴を思う愛情でホロリとさせる。でも、最後は（将来の出世の様子を想像させるように）すがすがしい後味を残して終わった。拍手大喝采。みんな満足して帰っていった。
いやー、それだけでも素晴らしい一日だったのに、実はその日はオマケがついてきた。
ボクらは、楽屋前でご挨拶をするつもりで師匠を待っていた。するとそこへ威勢よく師匠が飛び出してきて、おお、おお、と、こちらをみて声をかけるやいなや、「ちょっと何か食べていきましょうよ」ということになった。
で、ボクら三人に、お弟子さん二人が加わり、雷門まで歩いて戻って、大きい方の尾張屋に入った。席に着くなり、どうぞ、どうぞ、と師匠がおっしゃる。どうしようかと迷っていると、お弟子さんたちが二人とも親子丼を注文した。お弟子さんたちはこの辺の店で何がおいしいかをつぶさに知っているに違いない、と思い、ボクも同じものを注文した。初めて尾張屋の親子丼を食べたが、これがメチャクチャおいしかった。
師匠は、自分はまだ仕事があるからといって飲まないのに、ボクらにはビールまでご馳走してくれた。とくに初対面のボクに対しては、申し訳ないぐらい気を使い、いろいろ教えてくださった。それで、ボクはすっかり感動した。いやもう、舞い上がって感動しまくり、だった。一番印象に残ったのは、ボクが「寄席で主任をつとめられて、これからもうひとつお仕事へいらっしゃるなんて、大変ですね」といったときに、「いや、寄席は仕事じゃなくて、修行の場ですから」とおっしゃったことだった。そうかあ、「修行」かあ。ボクは、最近自分はいったいどこで「修行」しているんだろうと、考えさせられてしまった。
久々の浅草。しかし、さん喬師匠とお会いするのは初めて。もちろん、そんな大看板の噺家さんと一緒に尾張屋の親子丼を食べるのも、まったく初めての浅草体験であった。</description>
         <link>http://kohno-seminar.net/blog/2010/03/post_170.html</link>
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         <category>グルメ</category>
         <pubDate>Sat, 13 Mar 2010 20:40:26 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>談志師匠のマクラのように語る</title>
         <description>なんかねえ、新しいもの、好きになれないんですよ、この頃。ぜんぜん。ま、歳とってきたっていうのも、あるんですけどね、うん。うち帰ると、古いものばっかり見たり、聴いたりしてんの。ほら、ユーチューブっての、あんだろ？　あれでね、うん、ダイマルラケットとか、いとしこいしとか、見る、うん、見ちゃうんだな、これが。この前は、コント５５号にはまった。見出すととまんないよ、あれ。まちがいなく傑作ですよ。よくもまあ、このネタでこんだけ引っ張るよねって、涙流して笑いながら、感心して見てるわけ。うん、そう、古いよー、オレ。もう、だって、もっと古いんだって見ちゃうんだから。素浪人花山大吉って、知ってる？え、知らない？オカラの旦那？あの近衛十四郎と品川隆二の掛け合い。関西のノリじゃない江戸前のっていうのかな、ボケとツッコミのひとつの典型だな、あれは。むかしはねえ、ああいう品のいいコメディーがちゃんと成立してたんですよ、日本でも。それがなくなっちゃったねぇ。吉本の影響かなんか、知らないですけどね。
ええとさあ、それからさ、新しいスポーツもねえ、好きになれないんだな、やっぱり。オリンピックオリンピックってさわいでっけど、なんだあの、カーリングっつーの。あれは、スポーツなのかね。あれがスポーツなら、メンコだって、サケ蓋だって、みんなスポーツになるじゃねーか。メンコなんか、いまの若い人はやったことないから分かんないかもしれないけど、結構体力つかうんですよ。サケ蓋だって、ねえ、え？サケ蓋ってなんですか、だって？まあいいよ、別に分かんなきゃ分かんないで。別に全員に分かってもらおうと思って、ブログ書いてるわけじゃないんだから、こっちは。
ええと、まったく、うん、それからそう、フィギアスケート。あれさあ、アナウンサーが叫んでたぞ「会心の演技でした」って。なんだそれ。芸術点とかって、それはアートの世界でしょうがぁ。オリンピックっていうのはスポーツの祭典だったんじゃないの？いつからアートの祭典になっちゃったんだよ。
それから、あのスノボってのも、どーも気に入らないね、うん。なんでさ、あれ、競技中に、うしろででっかい音で音楽流さなきゃいけないわけ？自分たちだけの自由なカルチャー持ってますっていうのが、ガンガン前に押し出されてる感じがする。うん、わざとらしく。ぃやっだねぇー。カルチャーが違うっていうこと主張したいんだったら、オリンピックなどというメインストリームにのらなきゃいいんだよ、最初っから。だからさ、あのナントカいう勘違いした若いやつがでてきちゃうんでしょ。
あのね、これも古いけどさ、ボブディランにね、有名な言葉があるんですよ、A hero is someone who understands the responsibility that comes with his freedom.　別にオリンピックに出ないっていう選択肢だってあったんでしょ？そう、つまり出てくださいって請われても、いいっすって断れたんでしょ？その方が、ずーっと自分を貫くことになったし、ずーっとかっこ良かったと思うけどね、オレは。
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         <link>http://kohno-seminar.net/blog/2010/02/post_169.html</link>
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         <category>コンセプト</category>
         <pubDate>Sat, 20 Feb 2010 02:09:37 +0900</pubDate>
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         <title>ある気まずい午後</title>
         <description>先日、行きつけの横浜スタジアム前のスターバックスに入ったら、お気に入りの窓側の席が空いてなかった。とっくにお昼過ぎで普段ならガラガラなはずなのに、外が雨模様だったせいかもしれない。仕方なく、ボクは店の一番奥の方の席に陣取ることにして、勉強を始めた。
なぜボクが窓側が好きかというと、明るいからである。はずかしい話だが、最近ボクは目がすっかり悪くなって、太陽の自然光が入ってくる場所でないと、小さい字が読みにくいのである。
というような事情があるもんで、ボクは勉強を続けながらも、窓側の席が空いたらいつでも移動しようと、それとなく様子をうかがっていた。しかし、その日に限って、なかなか空かない。
そうこうしているうちに、ボクのすぐ隣のテーブルに、ひとりのオジイちゃんが座った。お洒落で、あか抜けている。二言三言、若い女性店員さんと、会話さえかわしている。気負いも気後れもなく、若い女性と会話すること自体、この歳の男性にしてはめずらしい。「やるじゃん、オジイちゃん」と、ボクはひそかに感心していた。
店では、その日、古いジャズがずっと流れていた。ほとんどが、ボクも聴いたことのある心地よいメロディーばかりである。そしたら、驚いたことに、オジイちゃん、そのひとつひとつを英語で歌い出すではないか！それも、低音で、ハーモニーをつけるようにして！ほんの小声だから隣にいるボクにしかきこえなかったが、見事にジャズになっている。・・・なんだ、この人。横浜でずっとバンドで演奏してきた人なのかな。カッコいいなあ、と、ボクは思わずその鼻唄に聞きほれてしまった。
さて、しばらくして、窓側の席がようやく空いたことに気づき、ボクは席を移ることにした。ただその時ボクは、隣のオジイちゃんに「あなたの鼻唄が気になるんで、席を変えるんですよ」というメッセージが伝わってしまうのは嫌だな、と思った。にっこり笑って「お上手ですね」とか、「ボクもジャズ大好きなんですよ」とか言ってから移動しようか、とも考えた。でも、むしろそうする方がわざとらしいと受け取られるのではないかと思い返し、結局何も言わないで、荷物をまとめて移った。
窓側の席にうつってからほどなくして、ボクの肩をポンと叩いて、オジイちゃんが通り過ぎていった。「あっちの席に、傘、忘れてますよ。」突然肩を叩かれた上に、席を移ったという後ろめたさがあったせいで、ボクは「あ、はい、ありがとうございます」とどぎまぎしながらいうのが精一杯であった。もちろん、彼は、ボクの方を振り返ることもなく、そのままさっそうと店を出て行ったのであった。
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         <link>http://kohno-seminar.net/blog/2010/02/post_168.html</link>
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         <category>コンセプト</category>
         <pubDate>Fri, 12 Feb 2010 22:53:51 +0900</pubDate>
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         <title>ピスタチオがとまらない話</title>
         <description>最近、ピスタチオがとまらない。
　　♪やめられない♪とまらない　ピスタチオ・・・。
ビール、ワイン、日本酒、泡盛・・・と、ピスタチオはなんにでも合う。
キッチンにいようが、リビングのソファーにごろんとしてようが、水戸黄門をみながらであろうが、小宮悦子さんの時間であろうが、いつでもどこでも合う。
　　♪やめられない♪とまらない　ピスタチオ・・・。
ピスタチオは、健康によいらしい。だって、袋にそう書いてある。「ビタミンEを豊富に含む」。
しかし、ピスタチオはカロリーも高い。「エネルギー（可食部100gあたり）607カロリー」。そうも書いてある。
うーん、ヤバイ。ボクはたいてい一日一袋ぺろっとたべてしまう。一袋約110g。これでは、せっかく成功しかけていたダイエットの成果が、水泡に帰してしまうではないか・・・。まてよ、「可食部」というとあの外側の殻は入らないから大丈夫かな、いやいや、それでも400から500カロリーぐらいか、うーん、やっぱりヤバイ、ヤァーバイ・・・。
実は、ついこのあいだまで、ボクは、ラーメンが止まらなかった。
高田馬場、実家の近くの日吉、神楽坂などで、二日連続、いや三日連続で味比べをするなどという無謀もした。12月に訪れた旭川のラーメン村では、ラーメンのハシゴまでしてしまった。
しかし、おいしいラーメンは、そもそも、おいしいラーメン店まで行かなければ食することができない。だからラーメン止まらない病には、おのずと内在的な限界がある。それと比べると、困ったことに、ピスタチオははるかに手軽に手に入ってしまう。スーパーはもちろん、最近はコンビニでも売っている。
なぜ、ピスタチオが止まらないのか。この話をすると、ボクの周りでも結構、ピスタチオ止まらない病にかかったことのある人が多いことが分かった。
その中のひとり、院生の山崎君は「あの殻を剥くという作業工程にその秘密があるのではないか」という仮説を立てている。指先感覚快感仮説である。
これは結構説得力があるが、ボクはついきのうある対抗仮説を思い付いた。
それは、量的幻覚仮説である。
ボクもそうだが、人はピスタチオを食べるとき、たいてい剥いた殻を別の容器に移し替えない。殻とまだ食べてないピスタチオとが、ひとつの容器の中で混在することになる。すると全体の量はまったく変わっていないように見えるので、人は自分の食べたピスタチオの量を正確に実感できないまま、ついつい食べ過ぎてしまうのではないか。
　♪やめられない♪とまらない　ピスタチオ・・・。
さてみなさんは、どちらの仮説が正しいと思いますか。あるいは別の仮説が思い付きますか。
どちらにせよ、仮説を証明しようとするあまり、ピスタチオ止まらない病にかからないように、くれぐれもご注意くださいね。

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         <link>http://kohno-seminar.net/blog/2010/01/post_167.html</link>
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         <category>グルメ</category>
         <pubDate>Sun, 31 Jan 2010 13:18:35 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>2010年１月マイケルとの夕食</title>
         <description>娘の親友アダの父マイケルからメールが来て、たまたま日本に来ることになったので、夕食を一緒にできないかというお誘いを受けた。彼が日本を訪れるのは、３度目。東京あたりの路線マップにはもう慣れたもので、渋谷のハチ公前で待ち合わせて、再会した。何を食べたいかと訊くと、「鰻」というので、勝手知っている店ののれんをくぐった。
ボクは、アダを生後９ヶ月ぐらいの頃から知っている。だから、マイケルとの付き合いも１７年近くということになる。どちらも、今年高校を卒業し大学へと独り立ちをしていく子供を抱えている身である。しみじみ、これまでのこと、これからのことをいろいろ話した。
まず、自分の娘も相手の娘も本当にうまく育ったと、お互いに「健闘」を讃え合った。そして、娘たちの間に切っても切れない友情が堅く結ばれていることを、うれしく思うと、感謝し合った。二人はそれぞれ違う大学へ進学する。ともに１８年ずっと育ったバンクーバーを離れることになる。でも、きっと二人はこれからも変わらぬ親友であり続けるだろうし、その安心感が二人の人生にとってはかけがいのないものだ、と思う。ということで、よかった、よかったと、酒も食も進んだ。
その後、子供を育てあげた親なら誰もがくぐり抜けることになる熟年人生の変化について、語り合うことになった。奥さんは、アダを独り立ちさせることを受け入れるのが難しいのではないか、と訊くと、やはりそうらしい。「なかなか手綱を離したがらない、離さなきゃいけないとはわかっているんだけどね」、と。
マイケルは、ニューヨーク出身である。奥様もどちらかというと都会派。「どうするの、今の家は引き払うの」と訊くと、いずれそうなるかもしれないが、夏のバンクーバーは過ごしやすいので、両方で暮らすことを考えている、という。アダにとっては、バンクーバーが故郷であるし彼女がいつでも帰ってこれるところがあった方がよい、ともいう。
いうまでもないが、人は子供をもってはじめて親になる。だから、人は、親としてなにをどのようにすればよいのかを、実は子供を育てながら実地に学んで行く以外にない。同じことは、子供が育ったあとの付き合い方についてもいえる。大人として育った我が子とどのようにして接するか、これも、大人になった子供と実際にコンタクトを取り続けながら、実地に学んでいく以外にない。そして、もうひとつ。人は、子供を育て終わったあと、自分の人生をどのように再設計するかも、人生を実際に歩みながら考えていく以外にないのである。
その夕食を通して、ボクとマイケルは、そうしたあたりまえのことを自分たちなりに受け止めて、それぞれ自分に納得させようとしていたにすぎないといえる。
最後に、今年の前半のお互いのスケジュールを確認し合った。卒業式や卒業ディナーなどで会いましょう、と。そして、よかったらいつか娘とニューヨークに遊びにきてくれと誘われたので、ボクもいつでもまた日本に来てくれと返して、別れた。そのようにして、我々は、子供を育て終わった後の人生の中にお互いがちゃんと入っているんだよ、ということをメッセージとして伝え合ったのであった。
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         <category>ごあいさつ</category>
         <pubDate>Sun, 24 Jan 2010 00:01:35 +0900</pubDate>
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