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2011年12月23日

2011年 ゼミOB会

ちょっと前になるが、12月恒例のOB会があった。
場所は、リーガロイヤルホテルのサファイアの間。数日前に担当の戸倉君から、ドレスコードは「セミフォーマル」という指示が入って、現役生たちがちょっと緊張していた。
今年は、卒業以来一度も会ってなかった畑中君、ようやっと資格試験に通ったといううれしい報告をしてくれた奥村君、新しい道を歩み始めた黒木さん、などなど、久しぶりに来る人たちもいた。みんな、変わってなかった。そう、人間なんて、そう簡単に変わるわけない、のである。
卒業生たちは、やあやあと肩を叩いたり、よおよおと胸をついたりしながら、お互いの人生の健闘を讃え合っていた。現役生たちは、そんな彼らを、最初は遠巻きにしていた。気を使い、先輩たちだけで楽しむ時間を与えていたのだ。でも、しばらくたつとだんだんと輪の中に加わって、本当に楽しそうにしていた。先輩たちも、若い後輩たちに声をかけられ、うれしそうだった。今年も、先輩と後輩とがつながって、よかった。
大学の中で、ボクが学生に対してできることは、いろいろある。勉強を教えることもできるし、大人の作法とかを少しは教えることもできるし、たまには恋愛相談にのってあげることもできる。
しかし、卒業生たちに対してできることは、あまりない。彼らはもう立派な社会人だし、意見やアドバイスをうけるべき大人もほかにたくさんいるだろうし。だから、ボクにできることは、こうしたOB会や、あるいは同期の同窓会のような場で、ボクや大学時代のことをダシにしながら、それぞれの人生にアクセントをつけていってもらうことぐらいなのである。
今年、On the Roofは3曲ご披露した。1曲目は「あの素晴らしい愛をもう一度」。これは、ふつうは失恋の歌だと思われているけど、そうではなく、若いときの純真さを取り戻したいという、大人の心の叫びなのではないかと思う。だから、OB会で演奏するのにちょうどいいかな、と。布施君とボクのアコースティック2本と小樽君のベース。2曲目は、アカネのピアノが加わり、ハナちゃんが「恋人はサンタクロース」を歌ってくれた。今年も、サンタ帽子をかぶっての演奏。そして、3曲目は、ボクがどうしてもこれを歌いたいといって練習したコブクロの「エール」を演奏した。ハナちゃんがきれいなハーモニーをつけてくれ、アカネが小気味よいピアノの間奏をつけてくれた。おかげで、実に気持ちよく歌えました。
終わってから、「先生、最近は奥さんの影響で、Jポップを聴くようになったんですか」と、誰かから聞かれた。別にそんなわけでもないけど、でもいつかは、斎藤和義を歌いたいと思っている。
みなさん、よいクリスマス、そしてよい年をお迎えください。

2011年12月18日

ベルリン再訪

わが「現代日本社会システム研究所」(←なんと、ボクはこの研究所の所長なのである)とベルリン自由大学の研究者グループとが共催した国際ワークショップに参加するため、ベルリンを訪れた。
ベルリンに来るのは、2回目。
前に来たのは、1983年、まだ「壁」があった時代である。
チューリッヒの空港でEUへの入管審査を受けたとき、「ベルリンには前にも行ったことがあるのか」と聞かれたので、「83年、まだ壁があったときにね」と答えた。すると、その若い係官はとても意外そうな顔をしていた。「そういや、そんな時代があったんだっけかな」とでもいうような表情にも見えたし、「あんた、ずいぶん歳くってんだね」とでもいいたげな表情にも見えた・・・。ま、おんなじことなわけだ、どっちも。
西側に古くからあるサヴォイホテルに着く。明日の朝食をどうしようかと、チェックインしてくれた女性に「ベルリンにも、スターバックスなんて、あるんでしょうかね」ときいたら、2ブロック先にあるという。
もちろんである。スターバックスがベルリンにないわけがないのである。時代は変わったのである。
ただ、翌朝、結局ボクは、ホテルでビュッへ形式の朝食を取ることにした。そしたら、ソーセージとスモークサーモンが、ことのほかおいしかった。
午後、少し時間ができたので、タクシーをつかまえて、ブランデンブルグ門を超え東側のミッテ地区まで行ってくれと頼む。かつてチェックポイントがあったあたりを過ぎ、「壁」の後をなぞる煉瓦敷の線を横切った。
昔は、一日限りのビザをもらって、東側に入った。ビザは市内しか有効じゃなかったのに、ボクはポツダムまで電車に乗って行ってしまった。ポツダム会談が行われた建物を見学していたら、そこで英語を話す綺麗な女性に出会い、彼女がボクを案内してくれた。その方とは、日本に帰ってからも、しばらく文通が続いた。そう、文通。その頃は、メールもフェースブックもなかった。
・・・などと、想い出に浸りながら、東からブランデンブルグ門をめがけて歩く。門のすぐ手前に、ピカピカのスターバックスがあった。それは、EU議会だかEU委員会だかのオフィスのある建物の一階だった。
もちろん、昔はEUなどというものもなかった。そんなものが実現するなどと、誰も思っていなかった(多分)。やっぱり、時代は変わった。
門を超えて、帰りのタクシーをつかまえる。運転手に「どうしても、ブランデンブルグを歩いてくぐりたかったんだよ」と話かけたら、その人はなんとイギリス人だった。へぇー、ベルリンでタクシーを運転するイギリス人って、ほかにもいるのかと聞くと、3人ぐらい知っている、という。彼は、壁が崩壊したときすでに、この町に住み着いていたのだそうだ。「次の日は、大変だったよ、東ベルリンから自動車がたくさん入ってきちゃってね。」
時代は変わったのである。多分、そう、多分、よい方向に、変わったのである。